過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

出会いの時

   

僕は、アホらしいと思いつつも心に強く決めて、しかもしっかりと守っていることがある。それが、望んでいることは常に考え、口に出せ。ということである。これは仕事でもそうだし、恋愛でもそう。

よく、あきらめている。ということで、出会いを望まなかったり、たまたま出会ったときにもそのチャンスを失ったりしている。別に積極的である必要は全くないが、そういうチャンスを活かせないというのは、いかがなものだろうか。

僕は自分の性格や容姿について、またそれ以外の人的な魅力について、だいぶ大きなハンデを背負っていることを知っている。そしてそれを治す気が無いことももうあきらめている。
じゃあ、恋人はそういうことを受け入れてくれる、妥協しまくった相手でいいのか。という話。
僕ぐらいの性格であれば、「自分はこんなだから仕方が無い。色々なことを妥協しても好きになってくれる人がいるなら、御の字だ」なんて考えることもできると思うし、ある意味ではそれが自然かもしれない。
しかし僕はそのように考えない。「妥協しなくても必ずいい子が見つかる。それは他人に自慢できるほどかわいくて、頭がよくて控えめで、料理ができてきれい好きで僕の面倒を見てくれる人」と。そしてこの、ばかげた夢物語を実現するために、僕はなんの努力もしない。
するのは、その夢を信じて、できれば口に出すことである。僕はもちろん独り言でそんなことをつぶやくようなことはしない。そんなのは恥ずかしい!。しかし例えばお酒を飲んだ時に友人たちに、「そういう人と付き合いたい」と考えていることを主張するのである。そして必ず「そんな人はいない。いても金目当てか何か別な大きな欠点がある人だろ(笑)」という、オチがつく単純な笑い話になる。

それでいいと思っている。ちょっと手の届くような目標だととたんに現実的な妥協とか我慢をするようになる。しかし夢のような目標であれば、ちょっとでも妥協しなければならないことがあれば、すぐに次を探せばいいだけのこと。ひょっとしたらそんな相手は見つからないかもしれない。そこだけは賭けである。ただし勘違いしてはいけないのは、際限のない夢ではなくて、最初に目指したゴールは、たとえゴールに到達しても絶対に変えないこと。またたとえ夢であっても、かならず妥協点は持っておくこと。例えば僕の場合であれば、自分が稼げばいいから相手には金銭的な余裕は一切求めないし、友達は少なくていいし。(料理も結果的にはうまくなったけど、冷凍食品などのいくつかの例外を除いて、別にめちゃくちゃおいしい必要も無かった)

僕はそのような夢物語を設定したのには、訳がある。それは絶対に僕には恋愛は無理だと思っていたから。僕が自分を客観的に見ても、どう考えても恋愛には向かない。それは妹にもさんざん言われたことだし、友人にも言われているし、言われ続けていた。そして僕自身もそう思う。さすがに問題ありすぎだろ!って。

だから叶わない目標を設定したほうが都合がよかった。高すぎる目標だから、っていう叶わない理由ができるから。
一人でもいいやって思える理由もあった。仕事を中心にしてたくさんがんばりたいことがあった。外出が嫌いだったから恋人ができて外出しなければならないことがが面倒だった。
転職などのゴタゴタで、収入が安定しなかった。住む場所も実家から出るつもりで安定していなかった。などなど。一人でいる理由を挙げたらきりがない。

唯一心配していたのが性的なこと。これは冗談ではなくて、本当に深刻だと思っていた。
恋人と楽しい時間を過ごすことも大切だけど、性的なことも避けるわけにはいかなかった。しかし例えばそれは、風俗であったり、ゲイを対象としたサービスも存在している。だから僕は恋人がいなくても、手っ取り早くそういうのを利用するのか、もしくは性的な目的に絞った出会いを求めるのか。どちらにせよ、その覚悟をしていた。

性的なことをのぞけば一人でいることは全然覚悟は必要なかった。

だから僕は、僕よりもずっと性格もよくて、それでも見つからないと嘆いている人には、「絶対にそんなことない。」そのように言うのである。だって、この問題児の僕でさえ見つかったんだよ?と。
そしてそう言うと、「んまあ確かに奇跡だよね。いつ愛想をつかされるの?(笑)」と、結局これもまた笑い話になってしまう。

とりあえずアホらしくても、理想を設定することとそれを口に出すことは大切だって言う話。
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