過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

合う部分が一致するよりも、合わない部分が一致した方がいいという意見。

   

僕がこの年齢になるまでの、いくつかの恋愛に対する経験で、それは僕自身が経験したこともあれば、友人などから伝え聞いた話も含めて。恋愛に対する新しい考え方などは、そうそう無いと思っていた。

それはもう20代の半ばぐらいの頃から、恋愛に関するほとんどのことというのは、体験しているだろうし、またそういう下世話な話はみんな大好き。だから絶対ほとんどのことは聞いている、知っているのである。

恋愛の真理というのがあるのかは分からない。だけど、例えばブサイクでもモテる人がいたり、かっこよくてもモテない人がいたり。そういうパターンというのは存在する。
そしてそのパターンというのは、恋愛においてはおそらく、他の色々なことを比べたとしても、単純なことに分類されるように思う。例えば料理は千差万別であるように、国によって明らかに特徴があるような。しかし恋愛は、動物も人間も国籍も男女も関係無く、統一的な概念が存在している。
それはおそらく欲に直結していて、ゴールというのが、大小の違いなどがあるにしても、存在しているからではないか。

暴力だったり、ケンカだったり浮気だったり。はたまた借金だったり。仕事だったり性的なことだったり。趣味のことだったり。そういうありがちな話を、恋愛のことでは対象を変えて、ぐるぐると回っている。しかしそれでも常に他人のそういう話はおもしろい。

そのように考えていたので、恋愛に関する話というのは、ほとんど新しい発見は無いと思っていた。

しかし最近になって、新しい話を聞き、それがまたとても驚くような内容であった。
それが、合う部分と合わない部分の話である。
趣味や嗜好の好きな部分がたくさんあるから好き。という場合もある。しかし場合によっては、嫌いな部分が一緒だから惹かれる場合もある。

人を好きになるとき、趣味や考え方の好きな部分での共通点をまずは見ることが多い。(容姿はとりあえず置いておく)
共通点においては、別にそれでいいと思うが、そこから発展する恋愛は長期的に見て厳しいことが多いという話である。

一方で、好きな部分での共通項が少なくても嫌いな部分での共通項が多い場合もある。ファッションにお金を使いたくないとか、ゲームは嫌いとか、料理はしたくない、とか。
そして長期的な関係を築こうとした場合に、この部分の共通項は非常に重要である。ということだと思う。

僕自身は聞いただけなので、本当にそのことを言っているのか分からない。だけどそのように解釈した。

なぜこれが僕にとって非常に納得できたのかといえば、それは僕と彼の関係がまさにそれだからである。僕と彼の共通の趣味などはホントにゼロに近い。唯一彼が最近になってバイクの免許を取得したので、一緒にどこかに出かけるぐらいだと思う。あとは旅行なども、僕は “後から” 好きになったので、これも今となっては結果的に共通項かもしれない。

しかし知り合ったときのことは、すでにブログに書いたが、話はかみ合わないし、これと言った何か魅力的なものも感じられなかった。
そして最初は、好きだと思う部分も、嫌いだと思う部分の共通項もほとんど存在しなかった。むしろ僕の好きな部分は彼が嫌いだったり、彼の好きなことは僕が嫌いだったりしたのである。

知り合ってすぐに、彼は僕が嫌いだと思う部分を修正してくれたので、結果的に嫌いだと思う部分が共通項として、初期の段階で確立された。それはさんざん書いているが、掃除・料理・歯のこと。”掃除が好き” ではなく、”汚いのが嫌い”というイメージ。

僕が彼のどこを好きかと言われると、例えば話が合うとか、一緒にいて楽しいとか、そういう表現はいまいちしっくりこない。どちらかと言えば、長時間いることが苦痛にならないとか、そういうゆるい感じ。
その実感は、友人に言われたように、好きな部分よりも嫌いな部分が共通していた方がいいという話に近い気がする。

だから付き合って初期の段階で、そして長期的な恋愛を考えるのであれば、なるべく嫌いな部分についてお互いの共通認識を持ち、それが一致していることを確かめることができた方がいいのではないかと考えている。
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