過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

パンツを見せてくれてありがとう。

   

$過去の日常。-2010-11-19※オレの身体です。

経済の根本は需要と供給である。ゲイの世界ではたいていの場合、このミスマッチがおきている。まあこれはいいだろう。

身体に対するエロというのは至る所に存在する。そしてそれが需要と供給にミスマッチが生まれている場合がある。すると価値あるものが非常に低価格(=容易に)手に入れることができる場合がある。

女性の場合、下着から価値があるような風潮になっている。もちろん下着の先などはもう大変である。これはたいして価値のないモノ(下着)が大げさになっているパターンだと思う。水着とかは平気なのに下着がダメって言うのは単純に不思議だ。

男性の場合いわゆる女性に相当する下着というのは、パンツぐらいしかない。しかし現実的には、上半身にも価値がある。価値があるのにもかかわらず、「腹筋見たい」といわれれば、結構簡単に見られるものである。
オレも先日の記事でお腹周りの画像を掲載したが、広く色々な人に見られても別になんとも思わない。実際にオレのはともかくとして、誰かの筋肉のついている腹筋や上半身を見ることができるのはとてもうれしいことだと思う。

価値があるんだから隠せ!ということではなくて、さらけ出す方の抵抗感と見る方の満足感のバランスが非常に面白いということである。

さてパンツ。さすがにパンツとなると若干難しい。パンツは興奮の度合いがさらに一歩増すように思う。性器に近いからだろうか。そんな中で需要家として、パンツをしっかり見せろとは言いにくい。供給側もそれを公開することに抵抗があるのはわかる。

ならば、腰とパンツのゴム付近だけでも見せて欲しいと。
って、ここまで書いてなんだか急に冷静になってきた。。。けど最後まで続けます。

オレはパンツだけの姿は意外と興奮しない。しかしズボンとパンツのコントラストには非常に強い興味をそそられる。そして腰パンが一般的であるように、結構この組み合わせを目にすることは多い。さらに腰パンはチラリズムと強い相関がある。パンツを見せる。と言う行為は、ただそれでけが目的であるために、パンツ全体を公開することになる。しかし腰パンであれば、普段の生活の中から少しだけ見られる場合もあるし、意図的に見せてもらう場合にもTシャツをまくって見せてもらうだろう。このがっつりとしてないところが、さらにいい。

街中で見るときはもちろんのこと、友人などにお願いして見せてくれるとき。オレは心の中で「パンツを見せてくれてありがとう」と、心で手を合わせながら感謝の気持ちでいっぱいなのである。
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