2011/12/28 考え(自分関連)

「マンションを買おうと本気で思っていた」それが今年の最初の頃の話らしい。
友人はそのとき、「俺にはすごく珍しいんだけど、マンションを買おうとしたとき、占いの本を読んだんだ。そしたら今年は何もする年じゃないから。ということを信じてマンションの購入をしなかった」と。
オカルト的な、特に占いを毛嫌いしている僕に対して、ちょっと遠慮がちにそのような事を言っていたのが非常に印象的であった。
そして地震があった。さらに友人は恋人が見つかった。
行動するリスクと行動しないリスクがある。そして僕は同じリスクなら行動するリスクを負いたい。だからマンションを買わないという点においては、まったく評価する手段を持たない。さらに買わない理由がオカルトなんだから、これはもうバカげているとさえ思ってしまうというのが本音。
一方で、「もし」というのもある。例えばマンションを買っていたら、例えば地震で物件価値の、想像を大きく超える精神的な不安も生じるだろう。これは大きい事だと思う。
さらに今の恋人と、付き合っていない可能性もある。ご近所だからという理由で、恋愛が進展した可能性は十分にある。だからもしマンションを買っていたら、そもそも知り合っていないかもしれないし、恋愛に発展したのかは全く微妙である。
オカルトのことは僕は信じない。だから「何もしない年」であるべきだと言うことを信じているのであれば、恋人関係にはなるべきではない。マンションの購入はしなかったのに、恋愛はOKなんて虫がよすぎる。
しかしマンションを購入しない事が、恋人との発展につながったのだとすれば、それは評価につながる。
何かをしないとき、「何となくイヤだから」というのは、十分な理由になると思う。なぜならそれは縁につながる可能性があるから。営業手法で、「断る理由を全部つぶす」というやり方がある。僕もそうやって営業を受けることがある。で、断る理由が実際にないからそれでも断るのは辛い。このときに「何となく今はタイミングじゃないので」ということで断ってしまえばいい。根拠なんていらない。
マンションを買うのが何となくイヤだったのに、それをオカルトを理由にするから話がややこしくなる。
だからマンションを買わなかったという素晴らしい判断のおかげで、恋人と関係を持てたとするならば、行動しないリスクは十分に報われると考えている。
2011/12/23 日常

みなさま体調はいかがでしょうか。と、このような書き出しをしているぐらいですから、僕は最近体調が悪いのです。風邪っぽい感じでしょうか。
今まで彼と付き合うようになってから、数回の病気をしました。そのどれもが、高熱で寝込むという症状。僕は熱が出やすい体質で、体調が悪くなると必ず熱が出るのです。おおむね年に1~2回ぐらい、1日~2日程度寝込むのが、僕の闘病方法でもあります。
体調が悪くなるときというのは、だいたい決まっています。ほとんどが金曜日です。だから土日に寝込むことによって、翌週には復活するという生活です。
かつて大学生のころ、僕はコンビニでアルバイトをしていました。そこでは週に1回金曜日だけ働いていたのですが、調子が悪くなるときは必ずアルバイト先でだったのです。それから僕はだいたい金曜日に絶不調になることが多いように思っています。
僕の場合は、咳などが出るわけではないので、他人にうつるという心配はあまりしたことがありません。だから僕は自分の家で寝込むこともあれば、彼の家で寝込む場合もあります。僕の家には体温計も持ってないですし、体調が悪いときに、色々準備してくれる人が身近にいるのは心強いことでもあります。
彼はそのようには考えません。体調が悪いと僕とは距離を置くようになります。もちろんうつる可能性を考えてのことなのでしょうし、あまり弱っているところを見せたくないということなのかもしれません。
こういう部分でも違いがあります。
食事は普通に食べることが多いです。熱があるだけなので、おなかはすきますし、食事をすることは問題ありません。ただし作るのがしんどいですが。だから熱のあるときはおかゆとかそういうのはなるべく避けるようにして、普通の食事を食べるように心がけています。うどんなどはいいかもしれませんね。
僕が彼と付き合うようになって、初めて体調が悪くて寝込んだことがありました。わざわざ彼は僕の家に来て、ご飯をつくってくれたのです。うどんがいい。確か僕はそのようにリクエストしたと思います。
そして彼が作ってくれたのは、もやし入りのうどん。そしてこれが非常にまずかったことを強く覚えています。
2011/12/22 考え(ゲイ関連)

もう僕は大人になったと言っても問題ないと思います。大人とは何か、というのは非常に難しいことだと思います。年齢というのも基準の一つでしょうし、精神的なものも基準になりうると思います。もちろんそれ以外にも社会的な生活力かもしれませんし、結婚などの環境も基準かも知れません。
そういう意味で、僕はもう大人であると宣言するのは特に問題ないのではないでしょうか。
普段の生活のほとんどを、僕は大人として体験し処理をしています。しかし最近気づいたことで、一つだけ、僕自身がまだ大人になりきれていないことがあると知りました。
それが夫婦生活の話です。
夫婦生活になると、当然夫婦を維持するのは自分たちです。だから自分という個人を優先したときに、結果として家庭や夫婦、子どもが2番目になってしまうことは容易に想像ができます。もちろんそれには不満はありません。しかしどうにも釈然しない気持ちがありました。なんとも表しにくい気持ちで、今まであまりその部分には焦点を当ててきませんでした。
つまり夫婦を考えたときに、夫婦を構成する当事者の気持ちに立つべきなのに、僕はその夫婦の子どもという立場になってしまうのです。
年令と共に、社会的・家庭的に責任のある立場になるにつれて、結婚だったり、浮気・不倫だったりという話を聞くことが多くなりました。
僕はこの時、個人に焦点を当てるのであれば、浮気や不倫は理解できる。という立場です。快楽であったり、マンネリの打破であったり、道徳的なことや倫理的なことを差し置く必要はあるにしても、個人だけに完全に焦点を当てた場合、必ずしもそれを否定することはできないと考えていました。
一方で、家庭や子供などを含めて考えたとき、僕は不倫や浮気は最も避けなければならない行為の一つだと考えています。個人と家庭のどちらが優先されるのかはわかりません。しかし関係性の中でそのような行為は否定されるべきだと考えています。
そして、僕はどちらの意見に近いのか。という話です。ようするに、個人を中心に考えるなら浮気は理解でき、家庭を中心に考えるならそういうのはダメと。
これにずっと悩んできました。不倫はともかくとして、浮気はそのチャンスがあったら・・・というヨコシマな考えが出てこないわけではありません。気持ちという意味では、そのような考えは健全であるといってもいいのではないでしょうか。しかしその場合には家庭を無視していることになります。
一方で、全体的な中ではどうなのか。場合によっては相手の恋人のこともあるでしょうし、自分の恋人が関係してくることもあります。そうなったときに許されることではないと。
不倫の話を聞くと、僕はすごく戸惑います。
それは大人としての立場であれば、大人同士が責任を持って恋愛していることを知っているからです。どのような事情があるのかはわかりません、しかし遊びでないとすれば、それなりの理由があってのそのような恋愛だとわかります。もちろん遊びだったとしても、全然問題ないですし。
一方で、子供としての立場だと、それがどのような理由であったとしても関係者をすべて納得させる方法は存在しえないのではないかと考えてしまいます。
この件は本当に難しいですね。
2011/12/21 ブログ

もう書くことがなくなってきましたw
2011/12/20 カップル(彼関連)

恋人関係の相手の親に会ったことはありますか?
僕は今までの恋愛の中で、相手の親に会ったことは数えるほどです。相手が実家ぐらしであれば、すれ違う程度かもしれませんが、会うことがあるでしょうし、せいぜいそのぐらいです。
今の彼の話。彼の実家に遊びに行ったことがあります。というよりも、毎年1回は必ず行っています。彼の住んでいる地方に行ったことのなかった僕は、旅行もかねて一度行ってみたいと思っていたのです。
とはいっても、それが現実的でないだろうことは容易に想像出来ました。年齢が離れているしどういう関係として紹介するのか。そもそも親との交流なんて・・・、と。
だから最悪ホテルを取って、軽く観光しながら彼の地元の雰囲気を見て・・。ということを覚悟していました。第一彼もイヤでしょうし。
そう思っていたのですが、なんと彼は快く応じてくれました。そして相手の親も「友達が来る」ということで、快く僕のことを迎えてくれました。
下町育ちだからなのか、厚かましいからなのかわかりませんが、僕は初めて相手の家に遊びに行き、すごく仲良くなることが出来ました。相手のご両親もとてもよくしてくれました。
僕はお酒が大好きなので、一緒に飲んだり。おじいちゃん・おばあちゃんも出てきて、もてなしてくれたのです。
彼は年に夏と年末の2回帰っています。年末は寒さがきついので、僕はだいたい夏に行きます。夏は景色も良くてとてもいいところなんです。僕は東京育ちなので、一つ一つのそういうことがとても新鮮です。
これからも夏には毎回遊びに行って、たくさん相手の親に迷惑をかけたいと思います。
※ちなみに年に2回。夏と年末に相手の親に手紙を書くようにしています。内容としては他愛も無いことです。夏の時には「先日はありがとうございました~」と。年末はだいたい食材等が彼のところに送られてくるので、「僕もおすそ分けに預かりました~」という内容。最近では相手の親も、「○○は少し多いので、かおさんにも分けてください」と書いてあります。
とてもうれしいことですね。
2011/12/19 考え(ゲイ関連)

僕の部下が結婚しました。部下は25歳で相手の方は僕より年上です。33歳?だったかな?。当時から年上の付き合っている人がいることは知っていました。が、まさか彼の年齢で結婚するとは思わなかったので、とても驚きました。
彼が結婚してから大きく変わったことが一つあります。それは飲みに行く回数が減ったことです。今までは何かにつけて(とはいってもそんなに多くはありませんが)お酒を飲んでいました。まだ新入社員だった彼をねぎらうなど、飲むことによるコミュニケーションはあまり好きではありませんが、それでも一定の目的や効果もあったと思っています。
結婚してからは飲む回数が大きく減り、今ではイベントごと年末とかそういう感じでしょうか。などの飲み会をベースとして何回か、というところです。
もちろん飲みに行く事自体が、怒られる行為になっていますが、それ以外にもお金の問題があるというのです。
財布を握られているという彼は、自分でお金を自由に使うことが相当制限されているようです。
彼も努力をしているようで、別口座を立てて、少しずつへそくりを貯めたというのです。「かおさん。だいぶ貯まったからそろそろ行きましょうよ」と。そろそろ行くかぁなんていっているうちに、口座がバレたというのです。経緯はよくわかりませんが、銀行からハガキかなにかの通知が自宅に届き、相手から「これなに?」ってことで尋問を受けたようです。没収されたのか詳細はわかりませんが、まあ結婚相手からすれば、へそくりはOKでも、コソコソやることはいい気がしないでしょうね。
しかし相手が厳しく色々と制限をかけるから、よりコソコソするんだということを、相手は本当に気づいていないのでしょうか。それが本当に不思議です。
2011/12/18 考え(ゲイ関連)

前の恋人の事を聞きたい。そのような話を聞きました。そういえば、僕は今の彼からそれを聞かれたことはありませんし、僕も聞いたことはありません。どちらも決して幸せにならないであろう、そういう話には触れずにきました。
僕としては、恋人関係、もしくはそれに近い状態の二人の場合、前の恋人の話というのは積極的に聞くべきじゃなく、するべきでもない話だと考えています。
前の恋人が、幸せな恋愛だった場合、一緒に過ごしていく中でおそらく色々な思い出と共に、イヤでもそれを意識させられると思います。どこかに出かければ、ココは前彼と来たことある、とか。この香水の臭いは前彼が好んで使ってた、とか。そういう話が出てきた場合に、それに少し絡めて話を聞く程度でいいのではないでしょうか。
あまり幸せではない恋愛であった場合、それを積極的に聞くべきじゃないというのは、きっと逆の立場になれば理解できると思います。(僕は楽観的なので、今までの恋愛のほとんどはとても幸せだと考えています。だから僕はあまり該当しないのですが・・)
ケンカであったり不誠実な理由での破局の場合、それを積極的に聞いてもいいのは、その傷が癒えたときに飲みのネタとして提供する場合、もしくは魔女会議での議題として挙げられている時だけです。
聞くほうとしても、それを気にしてどうする。というのがあります。たまに誤解されることがありますが、「相対的に恋人を選ぶ」ということはあまり無いように思います。だから前の恋人が、いい人でもそうじゃなくても、それを聞いてどうする、と。たとえどのような言われ方をしても、安心することなどできないでしょうし不安になる意味もありません。。
言う方も前の恋人に対して、不誠実な発言があった場合、自分も将来そのように言われる可能性があるわけです。
だからなるべくそのことには触れない方がいいのではないかと僕は考えています。
もし聞くのであれば、前彼のことを直接聞くのではなく、去年のクリスマスは誰と過ごしたの?とか、そういう遠まわしの表現ならギリギリセーフかもしれません。
2011/12/17 考え(ゲイ関連)

別に容姿とその人の性格が厳密に一致するとは思っていない。そんなことはいちいち指摘されるまでもなく当たり前のことだと思っている。
しかし何名の方と短時間のウチに交流して、僕自身は戸惑いつつも、一つの可能性というのを感じた。それがブサイクの方が話がつまらなくて、イケメンの方が話がおもしろい可能性である。
それを説明する理由は非常に簡単なのである。
イケメンは結果的に色々な人からチヤホヤされる。もちろん好きなタイプの人からもそうだろうし、そうじゃない人からもそうだろう。
色々な人からアプローチを受けたり、単純に話しかけられる場合、自然と経験を積むことになる。そして経験を積めば慣れてくる。だからあしらい方がうまくなり、コミュニケーションが上手になるのではないか。という僕の考え。
一方でブサイクな人は、話しかけられる場合が少ない可能性がある。だからそいった方向からのコミュニケーションは経験を積みにくい。そして自分から話しかける場合、タイプの人に話しかけることになると思う。そして「自分から話しかける」というのは、相手から話しかけられた場合の返し方のテクニックが磨かれない。さらに自分から話しかける場合には、タイプの人を中心に話しかけるだろう。だからタイプじゃない人から話しかけられた場合に、興味が無いという表情や態度が出てしまう可能性がある。
だからブサイクは話やコミュニケーションがヘタになる可能性があるのではないか。
僕が今回積極的なコミュニケーションを行った際、見た目などを基準に相手を決めたのではなくて、場所を基準に決めた。端っこの方に座っているという理由だけで話しかけにいった。だから話しかけた相手の人は色々なタイプの人がいた。若い人もいれば、同年代ぐらいの人もいたし、男性のほか女性もいた。
色々な人との会話を通じて、最初はともかく、徐々に、、、アレ?と思う場面が増えてきた。
いわゆるかわいいに分類される人、もちろん僕としても好きなジャンルになると思う。しかし出会うことが目的ではないので、僕がタイプに思うかどうかはまったく関係が無い。むしろ出会えないことがはっきりしているので、むしろ普段交流をしたいと思わないような人と交流したい。
そのような意気込みで色々な人と会話をしたのにも関わらず、疑問に感じる人たちは、ちょっとかわいいとは違う人たちであった。
一つは、質問に対する回答までの時間が長い。せっかちな僕は次々に質問を浴びせる。おもしろい回答でなかったとしても、スルスルと回答をもらえるとすごく話が早い。
また多少時間をかけて回答するのであれば、そこには意味のある方がうれしい。
しかし回答までに時間がかかって、なおかつたいしたコメントではない場合が多かった。
これは結局慣れの問題なんだと思う。
もちろんノリの違いとか性格の違いはある。だけど、合わせられるっていう一つの側面にだけ光を当てた場合には、その可能性があると言うことを知ったのである。
もちろん本件に関してはまだまだ検討の余地は大きい。しかしその可能性について考えが及ぶような出来事であったのは、とても衝撃だった。
2011/12/16 考え(ゲイ関連)

理想が重要。前回まででその重要性はさんざん書いた。
しかし理想を確定させるだけでは全体の半分しか達成していない。ただしもちろん半分も達成しているのだから、幸せになる条件の第一歩は踏み出したと言っても問題は無いと思う。
しかし、より上を目指すためには次のステップが必要になる。
それが我慢できるところを明確にすること。
理想という言葉から想像することは、おそらく全員が、望んでいる部分や希望とする部分を挙げると思う。もちろん間違ってはいない。
自分が追い求める像が明確になったら、次は切り捨ててもいい部分を明確にしなければならない。
特に僕の年代の場合。友人は理想の相手に会ったとしても、それ以外のイヤな部分で別れている。結局、譲れない部分がはっきりしてないのが問題なのである。
例えば顔や性格については、比較的理想像として挙げられやすい。
「よし分かった」と。じゃあその、顔や性格のめちゃくちゃタイプの人と出会いました。しかしその人は無職でした。さぁどうする?と。
別にフリーターぐらいだったら問題無い。そのように友人は言う。じゃあ、クリスマスでちょっといいところでご飯食べたりしたいだろう。大丈夫だろうか?
たまには金額じゃなくて景色のいいところとか、デートで船に乗ったりとか気分変えたいよね。大丈夫だろうか。
もちろんプレゼントが欲しいとか、そういうことは望まないと思う。だけど、ちょっとしたそういうことが、フリーターだということで、気にならないのか。そしてそれが長期に渡って続く可能性がある場合はどうするのか。
という話になると、友人は確かに自分の性格じゃ無理かも。と。
理想にばかりとらわれるのはとてもすばらしいことだと思う。だからこそ、目をつぶれる場所・つぶれない場所にもとらわれるべきだと思う。
特に理想というのは、本能にも近いので意識しなくても、それぞれが何となく理解しているはずです。
しかし我慢できる場所というのは、ほとんどの人が理解していない。優しい性格であれば、自分に責任を漠然と感じ、他人に理由を求める人であれば、あいつとは合わなかったの一言で終わってしまう。
そしてその間違いを何度となく繰り返す。
恋愛はビジネスとは違う。だけど似ているところも多い。取る仕事と捨てる仕事をはっきりさせている人や会社はすごく強い。それが自信につながるし、実績につながるから。
だから、例えばブサイクであっても武器になるし、かわいくても武器にならない。もちろん一定の条件っていうのは、仕事だって恋愛だってある。特に体型とかもろもろの諸条件の残酷さは取り返すのが非常に大変でもある。
だけど、例えばブサイクだという自覚があれば武器になる。なぜなら相手の容姿についてもおそらく妥協できるだろう。妥協できるもしくは、そこまでイケメンを望まない。という理想は、捨てられる部分を想像しているわけだから、幸せに慣れる条件を結果的に持っていることになる。
2011/12/15 考え(ゲイ関連)

※前回の記事も参考に。 >> 2011-03-04 理想の話。
友人に理想について話を聞きました。するととても驚く回答が帰ってきたのです。
理想というのは、反する2つを有している場合があると。
理想なんですから好き勝手言うのは別にいいと思います。
かっこよくて、自分だけを大切にしてくれて、お金も稼いでて、いつでも会う時間を作ってくれて、ご飯が上手で、おしゃれで、会話が面白くて、背が高くて、筋肉があって、夜はエロくて・・・。際限ないその要求は理想なんですから全然OKです。
しかし反する2つの欲求。ちょっと極端ですが、背が高いのがいいけど、低いのがいい。みたいな感じでしょうか。こういう矛盾したイメージを理想とする場合もあるようなんです。これにはとても驚きました。
さらには、限界のない要求というのもあります。慣れということかも知れませんが、顔がカッコイイということで恋愛関係に発展しても、もっとカッコイイ人がいるかも。ということで、浮気とはいかないまでも、つい他の人を探してしまうような。
理想の全部が満たされなかったとしても、顔だけでもということでいい関係になったのに、さらに大きな要求が出てくるというのです。
僕はこの話を聞いたとき、自分の理想というのは、そういう意味ではどれだけ低いのだろうと思いました。違う言葉で表現するならなんて現実的だろうと。僕は彼と付き合ってから、要求が大きくなったことはおそらくありません。最初から要求は(自分が考える範囲で)高かったですし、最初は満たされてない状態=妥協していましたが、彼はすべて満たすようになりました。それは何度か書いていますが、ヒゲ・歯・料理が中心です。
という話を友人にすると、「んなこといっても、あんたは彼で妥協してないじゃん!」と。
確かにそうです。僕は今までの彼の中で、少なくとも一番理想に近い相手でした。当時若かった僕はまだ理想を追えるギリギリの立場だったのです。
理想。とても難しいことだと思います。妥協をすることが直接の不幸を招くことはありません。(そもそも理想なんて非現実的だ!) 逆にそれを追い求めすぎる方が不幸を招くことに繋がりそうです。
前回も書いたので重複しますが、理想は高いほうがいい!それはそうだと思います。しかしそれを追い求めすぎると、幸せを逃してしまうのではないかと思います。
そして僕の場合、僕は理想がかなり現実的だった。というのは友人の話を聞いて気づいたことです。