過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

  2010/10/24    考え(ゲイ関連)

$過去の日常。オレは全然モテない。顔だけじゃなく性格の問題もそれに拍車をかけている。そんなオレだけど、たまにすごくアピールしてもらう事がある。そういうときって、この世界にありがちなんだけど、オレが何とも思っていない人とか、タイプじゃないとか、恋人をつくるような時期じゃないときがほとんどなので、結局お断りすることしかできない。

残念だしオレにとっても相手にとっても、とても不幸なことだと思う。思えばこうして何回の出会いやチャンスを失ってきたのだろうか。

積極的なアピールを受ける場合、性的な事に絡められる時が多い。直接的だしダイレクトで、もっとも効果的であることもまた事実である。悪習と言ってしまえばその通りだし、決してほめられたことではない。しかし振り向いてもらえない相手を振り向かせるとき、カードとして自分の身体を利用することを、否定することはオレにはできない。

身体を最大限に使ってアピールしてくる姿をみると、オレは心の奥がきつく締め付けられるのである。君がオレにそこまでしてアピールしなくても、オレみたいなのよりもっといい人が見つかるだろうその子が、ヤルだけでもいいからまた会ってくれませんか。そのように懇願してくるのである。

そういうときには、「そんな卑下した言い方はだめだよ。また会うのはもちろんいいから、飲みにでも行こうよ。でもエッチは基本的に無しだよ」と。身体でしかつながりを確認できない場合、非常に不満そうな顔をされるときがある。まあオレも「基本的に」ってつけてるあたり問題あるけど・・。

どちらかが優位になるような関係というのは適切だとは思えない。青臭く対等などと言うつもりもないが、少なくとも頭を下げてまでの関係はマズい。

心が締め付けられているときに、自分の意志とは別のところでチンコがぴくっと反応するのは、誰にも言えない内緒の話なのである。
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  2010/10/23    昔の話

こっちの活動を初めて最初の頃である。自分のポジションやキャラがまだはっきりつかめてさえいないぐらいのころ。

新宿のお店でオールをした。当時学生だったオレはお金も無く、でも体力と時間は有り余っていた。お店のことなど何もわからないオレは、当時仲の良かった友人に付いていくだけであった。

非常に元気な俺達のグループであったが、他のグループから声を書けられた。どこから来たの?とか。何歳?とか。俺達のグループに対して、なんとなく好意をいだいているんだろうなぁと漠然と考えていたが、もちろんオレには全く関係の無いことだった。
ほとんど喋ることもないし、顔もいいわけではない。好きとか恋愛とは無関係だとオレは思っていた。そしてなにより、話しかけてきた人たちは体育会系でオレのタイプではなかった。

グループ対グループで一通り交流していると、なんとなくお互いのグループが合わないと思うようになってきたようで徐々に各々のグループ単位で行動をしはじめた。しかしこの時に、オレは体育さんから声をかけられた。「ちょっと外に行こうよ」と。

オレはこのままお店にいてもひとり黙っているだけなので、体育さんとお店の外にでた。2丁目の何も知らなかったオレは体育さんと一緒に歩き、体育さんは新宿の案内をしてくれた。
「今日はありがとね。オレは友達のところに戻るよ」そういって携帯のアドレスを交換した。
自分のグループにもどると友人たちから色々なことを聞かれた。やれキスはした?とか、どこ行ってきたのとか。アドレス交換は?とか。

決して華やかなことがあったわけではなかったが、こういうキッカケで何かが始まるのもいいかもとオレは思った。
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  2010/10/23    考え(ゲイ関連)

オレはゲイとして悩んだことが無い。これはかなり幸せなことだと思う。
というよりも、ゲイとして悩むってなんだろう?普通は女性を好きになるのに、オレはなんで・・・という悩みなんだろうか。

オレはよくもわるくも、すごくデフォルメして、簡単・単純に物事を考える。そしてこの考え方は、学生の時はすごく批判された。しかし社会に出てからは批判されることも多いけど、メリットの方が大きいのでもう他人のそうした意見には耳を傾けないようにしている。

単純に考えるというのは、本当に単純に考えている。たとえばゲイのこと。女性が好きとか男性が好きとか、改めて主張する必要はあるのでしょうか。もちろん隠す必要はありません。だからといって声高々に主張する必要もないと考えている。だってパンが好きとか麺が好きとかっていちいち主張しますか?

カミングアウトっていうとなんだかすごくたいそれたことのような気がするけど、オレはこのごはん派とかメン派と同じような気がしてどうにも納得できない。もちろんこれはたとえなんだけど、カレーが嫌いな人って確かにいて、すごく言いにくそうに言っているところを見るとカミングアウトってそういうことなのかとも思う。

そして言われた方も、カレー嫌いなんだというときに、えーなんで!ぐらいはあるとおもう。でも考えてみて。その人の意見を尊重しませんか?「だめだよカレーおいしいから食べなきゃ」って押し付けますか?
もちろん押し付けるのも、受け入れるのもその人次第です。でも世の中ってそういう意味では意外と大丈夫だと思う。

オレは東京に住んでいるからそういうことに寛大だとは思う。またオレがそういうことをいちいち主張していないので、大きなトラブルに巻き込まれたことが無いというのもある。そうやって考えていくと、やっぱり別にゲイだからって特に悩むことないかなぁと、短絡的に考えてしまうのである。

※ちょっと酔っ払いながら書いたのでのちのち修正するか追加の記事を書きたいと思います。
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  2010/10/22    考え(ゲイ関連)

$過去の日常。※画像はオレです。

SとかMについて大半が「どちらでもない」というポジションに位置すると書いた。
しかし実際には、ドMだとかドSだとか激しい表現をしてくることが多い。

オレはこれについては非常に疑わしい事だと思う。だいたいドがつくほどのSとかMっていったいどこまで激しいのだろうか。Mだったら行為の延長で死んでも良いほどなのか。Sは血が出るほど、相手を殺すほどの何かをしたいと思うのだろうか。

一番ひどいのが、SもMもできるというパターンである。確かに自分をアピールするような場面で、相手のポジションが分からないとき、どちらにもつかない表現をすることはよくある。しかし相反するS/Mが共存することなどあり得ないと考えている。

オレはSなのかMなのかと聞かれた場合、絶対的にMである。これはもう前回の記事にある数直線上では、80あたりだと思う。

しかしSとしての役割も果たすことができる。これは前言を翻(ひるがえ)すような事だが、待って欲しい。あくまでオレはひどい方のMなので、自分がやられたときにドキッとするような事をすれば、Sとしての役割が果たせるのである。このとき相手がMだった場合には一通り満足してもらえる。
ただしオレは実際にはMなので本当のSにはなれない。MのオレからすればSの発想や態度、プレイには関心しきりである。

例えばMのオレがする、非常に簡単なS的な行動の例を挙げると、正常位でセッ スをしているとき、手をつなぐというのはごく普通だと思う。もしくは腰のあたりに手を添えるなどだろうか。しかしこのときに手首をつかむ。するとそれだけでいつもとは少し趣向が変わってくるのである。ちょっとしたレイ てきな雰囲気が出て、Mの相手はきっとドキッとしてくれるはず。

なおまだ自分でS/Mが分からない人もいるかと思う。こんな時簡単な見分け方がある。
突然の会話の中から「パンツ脱いで」と誰かに聞いてもらえばいい。

「何で?」とか「ちょっとまってよ」とか「いきなり何?」など、自分に気持ちが向かっていけばそれはMの要素を持っている。
逆に「おまえが脱げよ」とか「は?意味わかんねーよ」といった、相手に対して気持ちが向かっていけば、それはSの気質を持っていると言うことだと思う。

オレは・・パンツ脱げよと言われて、「えー。まじで。オレのチ コ見てくれんの?」と友人に回答した。酔っていた流れとはいえ、いいすぎたと言ってから後悔した。
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  2010/10/21    微エロ

先日制服のことを書きました。

気分を味わうために、ワイシャツやってみました。

やっぱり全然ダメですね汗
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  2010/10/21    考え(ゲイ関連)

この話は男に限った話ではないが、男女にとって大切な事だとおもう。ゲイの世界では性的な好みが非常に多岐に渡る。顔や身体だけの一カ所を好みにする場合もあるし、その組み合わせを好みとする場合もある。

もしくは性的な相性を好みとする場合もある。もちろんそれ以外の場合(職業とか趣味とか)もあり、本当に何が引っかかるのか分からない。

好みは色々あるとしても、根本には自分が S なのか M なのかを知ることは重要であると考えている。

ゲイは M が多い。そしてネコが多い。
何故なのかは分からないが、ネコが圧倒的に多いような気がする。リバという、両方できる人もいるし、その人数は結構いるが結局の所ネコなんだと思う。

M が多いと書いた。しかしオレは本当の意味での M というのは非常に少ないと思っている。この記事を読んでいるあなたもおそらくSかMのどちらかの自覚はあると思う。しかしそれが本当の意味でのSかMかという話なのだ。
オレとしては、S/Mという表現が先行しすぎて、安易に区分しているように思えてならない。

じゃあいったい本当の意味での・・・というのはどういう事を言うのだろうか。これは確かに非常に難しいことではある。しかしおそらくこれを読んでいるあなたがそうであるように、「どちらでもない」というポジションが多数いるのではないかと考えている。

つまりこういう事である。
(S)0- – – – – – – – – – – —50- – – – – – – – – – – —100(M)
こういう尺度で考える事ができるのではないか。もちろん一概には言えないが、目安にはなる。
0の人はSに限り無く近い。そして100の人はMに限り無く近い。しかし大半は、40~60の範囲に収まっているのである。片方に寄っている状態を自分の属性としてもいいが、いまいち迫力に欠ける。

今まで出会ってきた人の中では、確かに引くようなドのつくほどのSやMもいたが、大半は「オレはドS or Mなんだ」といいながら、なんだかんだいって性向はノーマルの範囲に収まっていたような気がする。
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  2010/10/20    フェチ/好み/タイプ

※この画像はオレです。

制服というかコスプレというか、着ている服には萌え要素が大きい。

とくにゲイにとっては、スーツ・作業着・水着などに興奮する人が多いようだ。
一般論として、ありきたりな学生服とか体操着、エプロンといったものはほとんど人気がない。

オレの場合だが、スーツや作業着、水着については一切興奮しない。そこにはオレにとっての萌え要素は全く無い。最近になってスーツのよさがわかるようにはなったが、特に重要というわけではない。逆にオレにとっては学生服やエプロンといった方が100倍うれしい。ワイシャツから胸が見えるのは男女関係なく非常に素晴らしいことだと思っている。

ちなみに彼が理系学生である。毎日白衣をきている(らしい)。 今まで何度となくお願いしたが、一切着てくれない。

ある時友人が、宅配便のドライバーはかっこいい人が多いとか、自販機の補充をしている人はかっこいい人が多いと言っていた。オレとしては制服萌えだろうと。もしくは肉体萌えだろうと。そのように考えている。かっこいい人がドライバーになるのか。ドライバーがかっこいいのか。

オレの好みとしての制服。

これは希望を実現することが非常に難しい。だって高校生なんて・・・。オレはどうすればいいのやら。。
とりあえずオレはワイシャツでその気分を味わいたいと思う。
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  2010/10/19    考え(ゲイ関連)

ゲイの恋愛期間は非常に短い。
直接関係しないが、過去の犯罪者を見たときに「女×女」の犯罪は一生一緒にいたいから起きる場合が多く、「男×男」の場合にはなるべく多数の人と関係したいから起こる場合が多いように思える。ようするに男性は移り気が激しく。女性は熱が大きいのである。

こうしてブログを書くに当たって他の人のブログを大いに参考にしている。

このときにもちろん長期でつきあっている人もいるし、ずっと一人という人もいるように読める人もいる。ブログ書いている人は、たぶん別れるとブログを一度閉鎖しちゃう事も多いと思うので読み取れることがすべてではありませんが・・

おのろけの記事を見ていると、僕自身にも長く恋人がいるのに単純にうらやましくおもってしまう。この感覚は何とも言えない不思議な感覚だ。

何故か男には急に「さめる瞬間」というのがある。オレは幸いな事につきあいたいと思った人に、さめた瞬間というのはない。しかし他の人が恋しくなると言うか、目移りするというか、そういう感覚はある。もちろん実際に行動に移してしまうのは問題があるのでこのときには他のことで気を紛らわしている。

つきあっていられる期間というのは、
1回目の区切りとして3ヶ月
2回目は半年。
3回目は9ヶ月。
4回目は1年
そして3年・・・
というように、
定期的に区切りに襲われる。
しかもその大半は1年続かないのである。

オレ自身は振る事があまりなく、振られてばっかりなので、なぜ数ヶ月で別れが来てしまうのかは正直理解のできないところである。
我慢がすべてだとはまったく思わないし、長く続ける秘訣というのは正直わからない。しかし重要な理由としてのひとつは、「我慢」であるとは強く思う。我慢強い人は幸せな恋人と一緒に長く続ける事ができるのではないかと自分の体験から思うのである。

じゃあ俺自身は・・・わがままを通すことが秘訣かも。。。矛盾というのはきわめて奥が深い。
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  2010/10/18    考え(ゲイ関連)

先日の記事では年上を好きになる場合の将来について書いた。
今回は年下が好きである場合の将来について考えてみたい。

オレの実感として、20歳のころは相手を見つけるのに苦労した。おそらくゲイ人口の中でその年代というのは比較的少数に属するのだと思う。これはオレが20歳の頃は2000年ということで、携帯電話の普及が始まった頃だと言うことも重要な関連ごととしておさえて欲しい。

そのため20歳のころは非常に不遇だったように思う。もちろん年上にはチヤホヤされたので、本当に良い相手だったら見つける事もできたと思うが、結果的にはそうならなかった。

23歳頃になると、出会う環境の変化もあるかもしれないが、良い子と知り合う機会が多くなったように思う。そしてこれは25歳ぐらいまで続いた。
この頃は、性格も顔のタイプも合う出会いが多かった。

そして25歳を超えて28ぐらいまでは、出会うまでが大変であったが出会ってしまえばかなりの確率で「良い子」だった。顔のタイプや性格の不一致はあったとしても本当に良い子たちだったように思う。
そして30歳になった今、出会うというのは滅多に無い。もちろん恋人がいるからっていうのもあるけど、友達としてでも良い出会いというのは減ったように思う。出会ってないので良い子かどうかの判断もつけづらい。

年上好きに比べて、年下好きの方がチャンスが大きいのは確かだと思っている。ただし何となくではあるが、年上好きは年上からチヤホヤされる可能性が大きく、年下好きは年下から邪険に扱われる事が非常に多い。
ゲイの世界は大変ドライなので、これは試練として受け止めるしか無いと考えている。
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  2010/10/17    考え(ゲイ関連)

スーツ男子オレは年下が好きである。って毎回書いてるな・・。
オレがまだ若かった20歳の頃からそれは変わっていない。20の時には、20以下が好きだったし、25になれば、それ以下が好きだった。

そして「年上好き」という人に話を聞くと、やはり同じだといっていた。

しかしオレは年上好きというのは長期的な場合に心配な部分があように思っている。それは恋愛の対象が狭まるということである。
10代であれば知り合う人の大半は年上だと思う。その中にはタイプじゃない人もいるだろうし、タイプな人もいると思う。

しかし歳を重ねていくと、例えば30歳になると知り合う人というのは年下が多くなってくるように思う。もしくは魅力的な年上というのは、存在するだろうが絶対数は少ないように思ってしまう(単にオレが年下好きだから??)

年上好きの友人に話を聞くと、やはり近い感覚を持っているようで、なかなかいい人と巡り会えないという話をしていた。いい人はすでに誰かとつきあっている。とも。

これから自分がさらに歳をとったときにこの考えがどうなるのかは全く分からない。想像もつかない。
しかし年上好きというのは、30代以降にとっては非常に辛い物なのではないかと考えてしまうのである。
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