2011/01/05 カップル(彼関連)

好きという感情。これは量ではないので単純に何かと比較するのは非常に難しい。だけどおそらく恋愛を経験しているほとんどの人が、何かの尺度で比較することができるのではないかと疑問に思っているのではないだろうか。オレの方がより相手を愛しているとか、この気持ちは海より深いとか、比喩だけど量という基準で表現する言葉はたくさんある。
オレは単純にそれを数値で表すようなことはできないと考えている。食べ物のおいしいという度合いを数値にできないのと同じことである。だけど相対的な尺度としてはそれを表し、なおかつ簡易な説明ができるのではないか、そのようにも思うのである。
どういうことか。
オレは彼とつきあっている。その期間もそこそこ長い。そしてオレの彼を好き具合と彼が俺の事を好きな具合が微妙に違っている。追う立場・追われる立場があるように、50:50とはいかないのが難しいところである。
あまり具体的に表現しすぎるのもどうかと思うが、オレの彼に対する思いが100。彼のオレに対する思いは0。おそらくそして残念な事に、現在の相対的な比は100:0である。普通の恋愛感の人、そして過去のオレだったらこの恋愛は破綻しているかもしれない。
この比の特徴的なところは、双方の気持ちとはあまり関係無く、度数の少ない方に行動が左右されるということである。たとえばオレが24時間会いたいと思っているとする。そして彼が半分の12時間だったとする。この場合現実的に会うことのできる時間は少ない方に予定を合わせることになるので12時間である。
つまりどちらかの気持ちがさめてしまった恋愛は、非常につらいモノになるのだ。絶対的な数値で表すことはできないが、対比はできるのではないかと考えています。
そして主題が違うので、あまり詳しくは書かないが、この恋愛がなぜ続いているのか。それはおそらく彼が愛という感情から違う感情に変わっているということがある。オレはこの愛が違う感情に変化するというのを受け入れたくない。だからそれを否定するための様々な言葉をいま頭の中でこねくり回しているところである。
2011/01/04 親/家族

書いておかなければならないでしょう。今の自分があるのは親の影響も大きいのですから。
よくありがちなトラウマだったり自己の確立を親に求めることはオレの場合はいまいち当てはまらない。なぜなら少なくとも一般的な家庭で育ったという思いがあるし、おそらくごく平凡という表現が非常に似合うような家庭だったであろう。今振り返ってみてもそう思う。
もし問題点や、今のオレにも影響を及ぼしている部分というのは、唯一金銭に関する部分だけである。ウチは貧乏だった。(とはいってもゲームも買えたし、借金取りがきたこともありませんが・・)制約が多いとか我慢が必要という意味での貧乏の程度です。
そんなオレだけど、親に対する思いというのは屈折に近いものがある。特に恨んでもいないし、むしろ親は好きだし尊敬もしている。感謝もしているし。だけど今までしゃべったり書いたりした親への思いは屈折していると受け取られても仕方が無いと思うような感情を持っている。。
オレは親がとても好きだ。改めて感謝もしている。しかし親の行動のほとんどすべてを否定している。
オレは社会人としてそこそこの時間を過ごした。それなりに社会的に評価されていると思うし生活の安定度合いもそう。常識というのがどういったものかはわからないが、少なくとも「社会を生きる」ということを基準とするならば、オレは親よりもよっぽどうまくやっていると思う。
オレがそのように社会で生きていけるのは、親が途方もなくダメであることを知ったからである。親を反面教師とし、その逆の行動をとることによって、少なくとも社会においては常識人となることができたし、ストレス無く過ごすこともできた。家族からはオレは異端としてやや距離を置かれている部分があったり、オレを阻害するという部分での家族の団結力には目を見張るモノがあったり。こういうのを体験すると、オレはやっぱり家族とは別の考え、生き方をしているんだなぁと感じるのです。
親はオレに何かをいうことは無いが、妹はオレに意見を言う。やれその考え方の何が間違っているとか、そんなんじゃ誰もついてこないとか。オレにすれば青臭い理想に聞こえるのだが、本人は大まじめ。妹が持っている崇高な考え方とは裏腹に、妹自身が評価されているとは思えない今の状態にもどかしさを感じるんじゃないかなぁと心配になってしまう。
結局のところオレは親を反面教師として見ている。しかし親は常識人の自覚があり、オレにもそれを守らせたいとしている。だから結果を見て理想を判断することしかできない。常識のぶつかり合いは正解が無いから難しい。少なくとも今の状態を結果とするならば、何とか親の示している道よりはいい道を歩けているんじゃないかなぁと、自分勝手にやりながらもほっとしているのでした。
2011/01/03 ブログ

好き勝手に色々と書きたいと思っています。大まかに分けて以下のような分類になると思います。
加齢。
加齢というのは相当重要なキーワードだと考えています。そのため、加齢に関する様々なことを書くつもりです。まだ僕は加齢によって生まれる魅力を捉えることが出来ていないので、衰えとかのネガティブな言葉で表現することが多いと思います。しかしこれは将来僕が加齢を受け入れることができたとき、きっと考え方が今とは変わっていると期待しています。
彼のこと。
とても幸せなことに、彼氏がいます。いちいち細かいことにうるさい僕なんですけど、(一応?)うまくやっています。彼とのエピソードはあまり多くは無いのですが、性格がまったく反対です。オレが抵抗だとすれば彼は受け入れる。性格の違いから来る出来事で象徴的な事があれば記事にしたいと思います。ケンカはほとんどしないので、それについては書くことができません。
性・フェチ
僕は性的な興奮を得られる一つ一つに理由がほしいと思っています。そのため認識しているフェチについて記事にします。ただエロ経験がそこまで多くない僕なので、エロいことは書きません。
ゲイとそれに関連する様々なテーマ
ゲイは行動の源泉に性があります。そのためゲイの話をするときに性のことを避けられません。この話題が一番色々なテーマに派生します。仕事や金銭の話。セックスや肉体、それに伴う年齢の話。出会いやそれに伴う経験談、家族や恋人との距離感、愛情についてなどです。
色々なゲイの方は、それぞれ一言以上の気持ちがあるようで、必ずしも読み手の方が納得できる記事ばかりでは無いと思います。無茶な理論展開もあるかもしれません。
日常
あまり日常のことについては書く予定はありません。が、旅行などに行くことがあればそれは写真と共に簡単な記事にしようと思っています。
その他。
画像について
基本的にはすべて自分で撮った写真です。全然上手ではないのですが、画像+記事にしようと一番最初に考えたのでこのようにしています。記事と画像はほとんど関連づいていません。ちなみにブログを始めようと思っている方、自分で撮った写真を掲載するのはおすすめですよ。発表の場があるとたくさん写真を取るようになります。
2011/01/02 声/自己紹介

去年の31日をもちまして、 ameblo から正式にこちらに移転しました。移転とはいっても、読者の方への移転の通知をしていないので、心機一転こちらでイチから頑張りたいと思います。なおamebloの記事はすべて同じ状態で移転していますのでご安心ください。(初期の記事について一部画像は差し替えました)
このブログを書こうと思った一番最初の目的。何度か触れていますし、一番最初にも書きました。それは30代になるにつれての20代だったときの考え方を残しておく。ということです。
僕は2010年に30歳になりました。つい先日までは20代で、その時には色々なことがありました。特に10代の後半から20代の前半というのは、一生を左右するような決断がありますし、また多感な時期なので色々なことを体験し、考えることになります。
人それぞれにドラマがあるように、僕も今の考えを形成するに至った色々なことがありました。
それらを切り取って考えを残しておくことによって、これからの30代を有意義に過ごすためのキッカケにしたいと思っています。
これを読んでいる方で、もし10代・20代の人がいたら、僕と同じような体験をすることがあるはずです。考え方や結論はそれぞれでしょうが、少しでも参考にして貰えればと思います。例えば加齢とともにモテにくくなれば僕と同じような考えになるかもしれませんし、ダンディな人は、30代からモテるようになるかもしれません。そうなればまた僕とは違う考えが出てくると思います。
今30代以上の方は、僕の今考えている事が稚拙に思えるかもしれません。将来自身が読み返したときに、今は稚拙であってもきっと先には洗練された考え方に変わっていると思います。時には稚拙な考えを強い表現で書いている時もあるので、軽く読み飛ばしていただければと思います。もちろんご指摘いただくのも大歓迎です。
2011/01/01 日常

厳粛な雰囲気などとは程遠い、日常生活の延長で年明けを迎えました。
31日は夕方すぎまで仕事をしていました。(サーバーの移転があったんです)
仕事が終了し、そのまま彼と合流。とはいってもこれもいつものとおりです。
31日はとりあえず年越しソバじゃない?といっていたので彼は天ぷらを作ってくれました。天ぷらは手間がかかりますが、おいしいですね。
しばらくだらだらとして、初詣の準備。近所(といっても電車で4駅ぐらい)にあるお寺?神社まで行ってきました。
境内まであと少し。というところで年明け。年越しのお参りはイベントとしてはいいのですが、年越しがあっけないのが難題です。写真を撮ったりしてはしゃいでいたら、年明け早々終電がなくなりました。ということで、歩いて帰宅。1時間ぐらいあるいたでしょうか。
彼と付き合ってから、数年がたちますが一緒に年越しをしたのは初めてでした。今年は彼が元旦からバイトがあるということで、普段は帰省しているのに、今年は日程をずらしたのです。
今まで、、、彼と知り合うまでは初詣のお願いは決まっていました。いい恋人ができること、健康でいられること。沢山稼げるように、ということ。
しかし最近ではとても幸せな毎日を過ごすことが出来ています。そのため彼と付き合ってからは、この(健康や収入などを含めた)幸せな状態がなるべく長く。できれば一生続くように。それ以上の事は望みません、と。オレにしてはとてもささやかなお願いをしています。
神様は欲張りなオレの遠慮がちなお願いを察してか、なんとかその願いを聞き入れてくれています。
2010/12/31 ブログ
※本記事はアメブロに投稿した最後の記事になります。明日よりこちらFC2のみで記事を公開していきますので引き続きよろしくお願いします。

短い間ではありましたがお世話になりました。本日でこのブログの更新をストップしたいと思います。
辞めたいと思う理由はいくつかありました。やはり一番大きいのはアメブロの雰囲気にどうも馴染めなかったことです。僕は今回のブログでは、みんな仲良くというmixiのようなことをしたいと思っていませんでした。ただただ、自分の思いを整理し書きとどめたいと思っていたのです。
当然出会いも期待していませんし、ちやほやされて喜ぶようなことも考えていませんでした。積極的に宣伝するつもりもなかったですし。(ランキングサイトに登録したのが宣伝らしい宣伝の唯一でしょうか)。
しかしながらアメブロは、ユーザーさんごとのつながりが強く、オレのように読み手に不快にさせてしまうような内容を公開することは適切ではありませんでした。
とはいっても大変うれしいことに、このような自分勝手な意見を並べている僕のブログに対して、アクセスが結構ありました。これは僕自身は全く予想していませんでした。感覚としては怖いぐらいでした。
もともと書いている内容が大変デリケートであるため、ご批判をいただくことも多々ありました。今までいただいたご批判については真摯に向き合っていき今後の自分の生活に活かしていきたいと思っています。
そして多数のコメントを頂きました。本当にコメントは多く、アメブロの管理画面を見るたびに「新しいコメントが○件あります」と表示されており、とても嬉しくおもっていました。返事を書くことも楽しかったですし、なによりも自分と違う意見を貰うことや、同意してもらえたことがとても幸せでした。
これから書きたいと思っていたことのいくつかの記事や、すでに書き上がっている記事のいくつかは、今まで書いたどんな記事よりもデリケートで賛否両論ある内容だと考えています。そのためこのまま続けると、多数の方にとても不愉快な思いをさせてしまうと考えました。
ここ最近の記事は柔らかく書いていましたが、書きたいことの中でも批判の起きにくそうな記事ばかりを公開していました。しかしいずれは賛否両論の記事も公開したいですし・・。まだまだ書きためている記事が沢山あります。これらの公開については、ここ以外となるでしょうが、現在ではまだ未定です。
アメブロのアカウントについては、このまま残したいと思います。ペタなど気が向いたときにしたいと思います。(過去記事はまだ未定ですが、削除する方向で考えています)。新たな記事を書くために戻ってくる可能性はありません。
最後に今まで私のブログの記事を通じて不快な思いをさせてしまった方に心から謝罪をしたいと思います。そしていつもコメントを頂いていた多くの方々に心から感謝したいと思います。色々とご迷惑をおかけしました。そして本当にありがとうございました。
2010/12/30 日常

毎年、年初にはその年の目標を。年末にはその年の総括をしている。ここ数年は過去と相対的に考えても充実しているのではないかと思う年が多い。
理由はいくつかあるが、そのうちの一つは、とても幸せなことにやりたい仕事ができていること、会社や仕事の付き合いを通してそこそこ評価されていることなどだろうか。もちろん不満を挙げればキリがないが、オレはポジティブなので、小さな幸せをとても大きく感じることができている。
30歳になって、こうしてブログに書き記したいと思うことが増えたように、20代にはその時に考えなければならないことがあるし、また30代になれば考えなければならないことがある。たまにそれを相当早い時期に体験し、考えねばならない状態に陥ることがあるが、これは決して幸せなことではないとオレは思っている。やはり相応の時期に相応のタイミングで、相応なことを考えるのが大切なのではないか。
そういった意味では、オレはちょうどいい時期、タイミングで考えることができているように思う。例えば死について考えるにはまだ早いと思うし、結婚を含めた恋人との長期のつきあいを考えていくにはちょうどいい年齢ではないか。仕事の充実なども、若い時の充実も大切だが、この時期のこの状態というのも今後を考えていく上でとてもいいタイミングだと思う。
今年を振り返ってみると、今年は充実と慢心だったように思う。
いくつか思い当たるところを綴りたい。
充実させるには当たり前だが本人の努力が不可欠である。そしてオレはこうやってブログの内容からも、その一端が伺い知ることができるように、必要とされない状態になってしまえば、とたんに孤立する。オレみたいな口先だけの人間が信用されないのは、いつの時代もそうである。
そこで一般的には、考え方を変え性格を変えて社会に適合させていくのだろう。オレも少しはそうだが、どうにもそのような考え方が馴染まなかったし、できなかった。しかし個人の付き合いと違って、社会は性格とは別の、必要性だけで生きて行くことができる。技術者であるオレは、性格に問題があっても必要性の部分は相応に持っていた。この部分を深める事によって、社会にはギリギリ適合でき、なおかつ性格をそこまで変える必要がなかった。
もちろん年令と共に、オレが社会で役に立つだけではなく、オレと一緒に働く人も同様に社会で必要とされなければならない。それはチーム制などの組織であれば、一人の努力も重要だが、チームの成績も評価の対象になるのである。
そしてこれが転機の一つであった。オレはオレのしている作業はさして難しいことではない。だから教えることは比較的簡単である。そして教わった人間は、持っている人間性がオレよりも上。社会で必要とされる術はオレがテクニックとして教える。つまり失敗する理由などどこにもないのである。だからオレは、自分の教えることはできるまで教えるし、やらせる。教わる人は最初はネガティブな言葉とともに弱音を聞くこともあるが、なんてことはない。すぐに出来るようになるし、オレを抜いていく。
この方法は簡単に結果が出る一方で、オレ自身の慢心を生んだ。「やれるんだからやって」「できるんだからやって」そのように押し付けるように教える手法で、なおかつ必ず結果がでるので、押し付け方も強い。もちろん3ヶ月もすれば、本人が一番メリットを享受するわけだから、文句はでない。だけど、オレは「オレの手法は正しかったんだ」と、さらなる向上をストップさせてしまう。
自分に利害のある関係者ならともかく、同期や他部署であれば、オレのやり方は傲慢にさえ映ったであろう。このブログを通じてもそうだし、社会で生きて行く中でも自分の傲慢さを感じることは多々あった。
謙虚がすばらしいことだとは思わないが、今のような状態がベストだとも思っていない。そしてこのことに気づき、実感することができれば、次の目標がおぼろげながら見えてくるのではないかと考えているのである。
2010/12/29 微エロ

またまた性的な話。ええと。このブログは30代を迎える人たちに、これからみなさんはこうなるよ!っていう衰えとか30代ならではの新しい楽しさを発見して欲しい。そう思って書き始めた。
しかし実際には、なんだかオレのフェチ話とか性癖の話ばかりしているような気がする。まあいいや。そういう30代を迎えてからの発見についての記事はこれから増やそう。
エロいことしてますか?。興奮するようなことはありますか?。
自分で処理するときにオカズをどのように調達するのか、人それぞれだと思う。
DVDや雑誌などが一般的だろう。オレも “かつては” そうであった。しかし最近は、(といってもココ数年は) 漫画系がもっぱらのオカズである。
という話を友人にしたとき、「エロを極めると2次元になる」という趣旨の事を言われた。もちろんオレはエロは全く極めてない。しかし確かに一般的なエロには飽きが来ているのも事実であるような気がする。
例えばDVDだと一回見ると2回目からは、なんか違うってなりますよね。いわゆる抜きどころ探すのが大変になってしまう。
1本を見てもなんか今日はそんな気分じゃないなぁと言って次を探す。なんだかそんな作業にはむなしさを覚える。もちろんその時は興奮MAXなんで苦にならないんですが。金銭的な負担も出てくるし、保管場所の問題もある。部屋に友人も呼べやしない。
そこでオレは漫画に行き着いたのだ。ネットでサンプルのような程度でも十分満足で、また同人誌などで検索すれば(著作権が不明だが)無料で見られるのもある。しかしpixivではダメという微妙なラインである。
ちなみに、オレは漫画は何故かほぼ女性オンリーで抜いている。DVDはノンケモノ、ゲイモノ半々である。オレにとってオカズの性別は些細なことである。
漫画の良いところはオカズとしての息が長いということである。1回使って終わりという事はない。何回でも使える。そしてその時の気分によって抜きどころも微妙に変化する。これは非常に興味深い。
例えば今日は胸が強調されているページでしたかと思えば、次の瞬間には入れているところ。別なときには口の所。などなど抜きどころは多彩だ。DVDでは何故かこういうことは少ない。だいたい抜きどころは固定される。
ちなみに3次元のイケメンの画像でもOKなのだが、今日は2次元の話にとどめておこう。
2010/12/28 考え(ゲイ関連)

みんな勇気がある。それは人を疑う勇気である。
信じる勇気をオレは持ちたい。今まで色々な事があった。裏切り、ウソ、騙されたり。人を信じられなくなる事は今までの経験の中で多い。
それは恋愛の中でもそうだし、もちろんプライベート、仕事でもそうであった。ある一定の年齢を重ねることによって、人は信じることよりも疑うスキルを身につけるようになる。
ゲイは裏切りが日常である。仕方が無い側面もあるのだが、結果として裏切りになるのは事実である。男性の世界では性欲は非常に大きな理由となり得る。俺自身の事もあるが、身体の誘惑というのは非常に多く、なびいてしまうことは仕方が無いとさえ思う部分がある。。
恋愛もそう。若いときには特に、身体の関係が感情を高ぶらせることはよくある。二股をする人もいるだろう。
身体の関係の終わりは、恋愛関係の終わりでもある。
こうした、身体を中心に考えた時、身体以外の結びつきは非常に弱いものとなってしまう。信頼によって結びついていたわけではなく、身体によって結びついていたことに気づくのだ。
若いとき、、、10代から20代前半の頃には、仕方のないことであるが、こうして恋愛のスキルと性的なスキルを積んでいく。
これが繰り返されると、どうしても疑うことしかできなくなってしまう。どうせ身体だけが目的なんでしょ、身体が飽きたら離れていくでしょ。モテそうだから他にもいるんでしょ。疑いの目を向けたら限りが無い。そしてそれは疑心暗鬼になっているわけではなく、過去の経験からそのように判断しているのだ。
その気持ちは非常によく分かる。オレだって疑いたいし、過去の経験から、信じたときに裏切られる事になることをよく知っている。でもだからこそオレは信じる勇気を持ちたい。確かに怪しいことだってあるかもしれない。疑わしいことだってあるかもしれない。
2010/12/27 カップル(彼関連)

オレは彼とはほとんどケンカをしない。オレが怒ることは多いが相手はあまり怒らないので大きな事態にはならずにすんでいる。これはもう彼のやさしさのおかげだとオレは考えている。
今回のコタツのくだりもケンカというわけでは全然無い。ただやっぱりどうにも納得がいかないのでちょっと書いておきたいと思う。
今まで知り合ってから数回の冬を過ごした。もちろん毎年寒くて、寒いのが苦手なオレは毎年苦労している。毎年エアコンとコタツを併用して冬を過ごしていた。※ちなみにオレの自宅はエアコンだけで過ごしています。すごい寒い!
去年の冬のこと、このときはなんとコタツを出さなかったのである。オレはもちろん寒いのでコタツを出して欲しいとかねがね彼にお願いをしていた。
しかし彼は「今年はそんなに寒くないから」ということで、いつまでもコタツを出さなかったのである。年末ごろには絶対に必要なんだけど、全然出さなくて結局年も明けたし俺自身もいまさらなぁという雰囲気になった。
そしてやっぱり相変わらずそのことに納得がいってないオレは、夏のときに「あらかじめいっておくけど今年はぜったいコタツだしてよ!」そのように言ったのである。「使わないならコタツ捨てる!」とか、「使わないと壊れちゃよ!」とか。
とにかく出して欲しくて夏のうちから説得をしていたのである。オレって健気じゃないですか。
すると思いもかけない言葉が出てきた。
「いや一回使ったよ」と。オレはもう「!!!!!」である。
「え!だってしょっちゅう来てるけど出てたことなかったじゃん!ひょっとしてコタツ出てる時オレはいつも酔ってた??覚えてないだけ?」
話を聞くとなんと彼の親が遊びに来たときに、寒いからコタツを出してくれとお願いされて出したそうなのだ。
ちょっとまてという話である。
「オレはいつも一緒にいてちゃんとした恋人だし。そのオレが何回もお願いしたんだよ。それでも出してくれなかったのに。でもお母さんが来て、しかも1日程度の滞在なのに、夜にたぶんちょっと言われただけだよね。なんでそれでオレは無視されて、お母さんのお願いは聞くのさ。。。」と。
「そんなにお母さんの言う事きくなら、オレがあなたのお母さんに連絡して、オレの代わりにお願いしてもらう!!!」
相手は “しまった” という顔をしていたが、知ってしまったしもうダメです。
「よしわかった。少なくともお母さんと同じぐらいオレのことを大切にしていることを証明するために今すぐコタツだして!」まあその時は真夏なんだけど。。。
「寒かったら出す。寒くなかったら出さない。」と言われてしまいました。