2012/05/08 日常

早いもので、初めてのゲイタンが行われてから1年ぐらいが過ぎようとしています。
今まで、を振り返ると、
第 1 回 東京 BBQ
第 2 回 大阪 BBQ
第 3 回 東京 バー
第 4 回 東京 カフェ
第 5 回 名古屋 体育祭
第 6 回 東京 サミット
第 7 回 横浜 カフェ
と行われてきました。2ヶ月に1回ぐらいのペースでしょうか。
今週の土曜日に以下の通り ティー&バーが新宿(無銘喫茶)で行われます。
日時: 5/12(土)
ティータイム 11時 ~ 17時
バータイム 19時 ~ 深夜1時?
※17時~19時はティーとバーの混合タイムになります。
場所: 無銘喫茶
そもそもゲイタンというのは、セクシャリティとは関係無く、楽しいことを共有しようという考えて発足しました。名称にゲイというのが含まれていることや、相対的にゲイの参加者が多いことは事実ですが、僕はとくに意識したことはありません。
毎回主催者が違うので、雰囲気が毎回異なっています。今回はどのような雰囲気になるのでしょうか。とっても楽しみです。
2012/04/14 考え(ゲイ関連)

若いうちは色々な人と付き合えばいい。そのような話を聞くことがある。僕は半分賛成だけど、半分は反対なのです。
色々な経験を積むことは通常プラスに働く。熟練するというのは、判断の時に誤りが減るし、その判断も非常に速くなる。過去のパターンにある程度当てはめ、最適な行動を取ることができる。
しかし恋愛においては、その豊富な経験や迅速な判断力はむしろマイナスになるのでは無いかと思うのである。
あまり恋愛経験が豊富だという人の話を聞いたことが無いので想像になってしまう。だけど、例えばありがちな例としては、経験とともに好みが細分化されるのではないか。
一緒にお酒を飲んで楽しいのは○○くんだけど、身体の相性は○○さんみたいな感じ。
過去をひきずるなんていうことでは全く無いけど、それでも比較は行われると思う。特に性的な経験は記憶に残りやすいので、不満として出てくる可能性も強い。
そういう意味では、不動産の物件探しに非常に似ている。
物件を探す際には、妥協できるところと妥協できないところをハッキリさせることが重要である。駅からの距離、築年数、バストイレ別、広さ・・・などなど。少しぐらいの不満には目をつぶり、本当に重要な部分を優先するべきだという事である。
恋愛も近いのではないか。
色々な人との恋愛というのは、数多くの引っ越しをすることと一緒だ。一度選んだ人であれば、いい部分も悪い部分も含めて一度じっくり向き合う必要がある。そして向き合っていれば時間もかかるので、恋愛の経験数は当然減る。これはいい方向のスパイラルを生むと思う。
一方で、すぐに見切りをつけている場合、努力でカバーできる色々な事を放棄しているように思う。もちろん物件と一緒で、さらにいい条件の物が見つかる可能性はある。しかしよりいい物件といっても、条件が大幅に変わらない限り(払える家賃の条件が挙がるのであれば話は早い。しかし諸条件が固定的なままであれば、駅からの距離を妥協して、広さを確保するなど、結局差し引きゼロである)今までの物とそう大きくは変わらないだろう。
だったらじっくり向き合うことはそんなにマイナスでは無いと思う。
少ない経験の中から、限定された情報の中での選択の方が、本当の幸せであるかどうかは別として、得やすい幸せであることは事実であるように思う。もし他の人と恋愛をすればもっともっと幸せになる可能性は常に存在する。だけど、それが実現する保証はどこにも無い。だったら夢など見ずに、今目の前にある幸せをより高める方の努力の方がよっぽど現実的だし、それができたときに、本当の幸せになるのではなかと僕は思う。
2012/04/10 考え(ゲイ関連)

全くの憶測だけど、合っている部分もあるのでは無いかと僕は考えている。
かわいい子はいい恋愛をするのが難しいのでは無いかと考えている。いくつかのそして非常に単純な理由がある。
イケメンの場合、
・モテるので自分から行動することが少ない。
・様々な人から声をかけられるので、判断基準が難しい
というのは一般的だと思う。
最初から詰んでいるといったら言い過ぎかもしれないが、それぐらい難しいというのが僕の率直な意見。
自分から行動することが少ないというのは、たとえすごく好きな人ができたとしても、それを成就するための手段を持たないに等しい。もちろん稚拙な方法であっても、イケメンであれば単純に成功率は高いかもしれない。しかしそうであるならば、それを最大限に生かす方法を持っていた方がさらにいいと思う。
様々な人から声をかけられるというのも大変なことだと思う。
イケメンを口説く人というのは、ブサイク~同レベルのイケメンまで様々だと思う。それぞれの思惑があって、ブサイクの人だったらもしうまくいけばラッキーという感じになると思う。
そしてブサイクな人は、場合によっては口説きのテクニックを持っている場合もある。もちろん顔だけじゃなくて性格も重要な要素なので、一概には言えないとは思う。顔だけに焦点を当てた場合にはそうだろうということ。
イケメンから口説かれる場合も難しい。相手がイケメンの場合、当然相手も色々な人から口説かれているだろうし、出会いも相対的には多いだろう。そうだとした場合に、自分はその他大勢になってしまう可能性もある。
この業界では、なかなか自分の顔のランクを超えて付き合うことは少ない。せいぜい1ランク上下するぐらいだろうか。Aランクの人とBランクの人が付き合うことはあるかもしれないが、AランクとCランクが付き合うというのは、あまり見かけないように思う。
じゃあどういった人とつきあえば幸せになるのか。その答えは非常に悩ましい。
まずは相手のランクを必要以上に落とすのはどうかと思うし、だけど性格は長期的な恋愛を指向するならば、非常に重要な要素でもある。
だから結局言えることは、ちゃんと相手の性格を見極めろ!ということになる。性格と顔のランクが絶妙なバランスの人が、本当にいい人なのでは無いかと僕は思う。
※もちろんタイプとか好みとか色々な要素を含んでいるので一概には言えません。ただし考え方の方向性として、僕はこの話はとても重要だと考えています。
2012/03/26 考え(自分関連)

僕は占いを今まで一度もしてもらったことがありません。かつて、「手相は簡単に見てもらえるし、駅前にも見てくれる人がたくさんいるから、一度見てもらったらおもしろいよ。」そのような事を言われて、確かに手相は500円ぐらいで見てもらうことができるので、一度・・・とは思ったことがあります。
しかし結局僕は今まで一度も占いをやったことはありません。
おみくじもやはり僕は引きません。大中小(吉)などの全般的な方向性とともに、健康や金銭ついて詳細な解説が書いてあります。しかし僕はそのアドバイスに従うべきなのか、そうじゃないのか。いまいち分かりません。そしてそのおみくじに数百円を使うのはやっぱり・・・という考えが出てきてしまうのです。
が、話しのネタとして、他の人たちが結果に一喜一憂しているのは、とてもおもしろい事だと思います。
金銭・恋愛・健康については話題になることが多く、恋愛は成就が難しいこの業界において、それぞれのコメントを聞くことができます。
占いの中でも、おみくじはかなりライトなので、とりあえずは遊びの延長線かもしれません。しかし好きな人、信じる人は○○の母というような方にかなりの金額とともに占ってもらうことがあります。
深刻な相談事もあるかもしれませんし、軽い気持ちのちょっとした延長なのかもしれません。特に仕事や恋愛について占ってもらうという話を聞いたことがあります。
「○○さんは○○だから」(例えば、かお。さんはすごく几帳面だけどずぼらなところがあるから・・・みたいな感じ)という分析について、これは何の意味があるのか正直よくわかりません。当たっている事を示すためなのか、他のアドバイスにつなげるためなのか、本人が気づいていないと思っているのか、改めて強調するためなのか。
おそらく、現状分析とともに将来起こりうる事を示し、問題がある場合には回避するために努力を促すのでしょうし、順調であれば、そのままがんばるって事を意識しておけばいいのだと思います。
で、そう考えると結局自分の努力の結果が将来につながっているわけで、占いをどのように生かしていけばいいのやら・・・という、なんだかループしちゃいます。
あなたは33歳ごろに大きな試練にぶつかる・・・なんて結果が出たらそれもまた怖いですしね。
2012/03/19 考え(自分関連)

どうやって生きるのか、という生について考えることが重要であるように、どうやって死ぬのか。という死、もしくは最期を考える事も重要だと考えています。
しかし、生きていく方法を考えることは、様々な可能性があり、それを試すことも何度となくできるに対し、死について考えても、それを実践するのは、ただ1回という事になります。
僕の性格上、ポジティブなことは積極的に考えますが、消極的に思える死については、あまり考えることはありません。どうやって生きたのかという集大成が、死なのかもしれませんし、さすがに死の場合に関してだけは、結果よりも過程が重要なのかもしれません。
一人で死にたくないという事を聞きました。これは僕自身の中で2つの可能性がありました。一つはゲイとして、夫婦関係が結べない事による一人でいることの不安。これは制度上のことかもしれません。
もう一つは、結婚制度があったとしても、単純に一人で死ぬ事への不安。
制度としての不安、例えば男女の恋愛であっても、最後まで一人(独身)ということは十分に考えられます。また気になるのは、結婚していてもどちらかが必ず先に亡くなるわけですから、残された方は一人という事にならないのでしょうか。もちろん子供がいれば話しは違う可能性があります。
僕の環境では、いわゆる本当の意味での一人での死というのはありません。だって、僕が知っている時点で、その人は孤独じゃないでしょうし。まだ死期が近い年齢の友人もほとんどいません。
例えば祖父が亡くなったとき、自宅で一人でした。ほぼ毎日のように誰かが訪ねていたのですぐに死んだことについて気づきましたが、最後は一人でした。これは「一人で死にたくない」の定義に当てはまるでしょうか。
制度として結婚が存在しないので、恋愛は常に自由で、結果的に一人身になる可能性が高いという場合の一人での死というのは、ちょっと特殊です。
その場合の家族というのは、自分と恋人の2人のみになります。だから残された一人は、子供や孫に囲まれることもなく、完全に一人になってしまいます。周りには、友人ぐらいかもしれません。親戚づきあいだって、この時代ですから疎遠になっているでしょうし、それが普通の事だと思います。孤独という定義の中ではおそらく子供などの身内がいればセーフでしょうから、ゲイであればもう完全に孤独になってしまいます。
一人での死というのがなぜイヤなのか、僕には正直分からないことが多くあります。
もちろん一人ぼっちでいる事がいいとは全く思っていません。できれば少数であっても気心の知れた仲間は友人が、死の直前まで常に交流できるような、そういう最期が理想の一つのような気もしています。
常に人は一人だ。などと言うことを言うつもりもありませんし、その考え方には若干否定的でもあります。
しかし最期を迎えるに当たって、一人がイヤだということは考えたこともありませんでした。一人で死なないために生をしっかりと生きるということならとてもすばらしいことだと思います。しかしそのために、生きることが消極的になってしまうのであれば、それはちょっとどうなのかなぁとも思ってしまいます。
2012/02/21 考え(自分関連)

「他人の恋愛なんてどーでもいいじゃん。」そのような意見を聞いたのです。
僕自身は他人の恋愛の話しはおもしろいことが多いと感じているので、どうでもいいという考え方はとても意外でした。
その恋愛がうまくいっているとか、そうじゃないとか、そんなことはどうでもいい。夫婦げんかは犬も食わないというように、ケンカの話もどうでもいい。そのように考えています。
恋愛の話の醍醐味は、お互いがマジメに考えている結果の意見としての相違をどのように克服しているのか、につきると思っています。。
そこには、お互いがお互いの意見を尊重するために、トンデモ理論が生み出され、それを本人たちが、たとえ納得いかなかったとしても、なんとか折り合いをつけているところが非常に人間くさく。それがおもしろいのではないかと。ちなみに他人のカップルの性的な話は一切興味がありません。
また、そういった考え方の相違は、ある種の滑稽さを含んでいることも多いのです。だからこそ僕はそれらの話に惹かれます。
相手の気を引くための各種のテクニックもおもしろい。そうやるかぁとか、それは裏目に出るだろーと思うようなことも本人たちは大まじめだし、それがうまくいく場合もある。自分にはキツイようなことでも、第三者へのそれはとてもおもしろい。
かつて僕の友人で、帰る頃になると毎回ケンカをするというカップルがいた。そして友人の男性が言うには、「人混みになると泣く」だから涙を見せたいんじゃ無いか。か弱く泣いている弱い自分をアピールしてるのではないかと。そのように言っていた。もちろん事実はわからない。女性の方も友人だったので、そういう話は聞かなかったけれど、少なくとも人前で簡単に泣くような印象の人では無かった。
だから男性の方が話を大げさにしている可能性はあるし、ひょっとしたら泣いている事実も無いのかもしれない。
だけど僕はそれでいい。泣くということが作り話だったとしてもそれはそれでおもしろいし、創作としてのポイントも高い。だから僕はその話を聞いて、一通りのバカげたトークとともに時間を使えればそれでいいと思っています。
好きな人がいる。そのように言う友人がいる。どうやら単純に見た目がすごくタイプの人と会ったらしい。今度は本気だ。今回は違う。そのような今まで繰り返し使われた言葉を今回も聞くことになった。
だけど、明らかに目の輝きが違う。トークの雰囲気が違う。だからきっと今回の人は、相当タイプで、かっこいい人なんだろうと思いました。何も性格で選ぶ必要は無いんだけど、見た目のタイプでここまで態度が違うというのは、残酷でもありますが、その友人の違う一面を見ることができたようで、とても興味深い物がありました。
長く付き合っている人たちの話。やはりこのぐらいになると、すごく安定感があります。この安定感のある話しも僕はとても興味があります。
僕の場合、我慢することができません。すべて指摘してしまう性格ですし、特定の部分においては非常に細かい性格かもしれません。誰もが、他人と一緒に長い時間を過ごすには、ネックとなるような性格を持ち合わせているように思います。
そしてそれを他の人たちはどうやって解消しているのか。とても興味があるのです。これは主婦の人でも、結婚とは関係無く長期で恋愛している人も、共通している回答を得られることが多いように思います。いい意味での無関心だったりとか。我慢だったりとか。尊重だったりとか。そしてだいたいにおいて聞くのは、ちゃんと「好き」だっていうこと。
かつて僕は恋愛の事を表現するのに、登山のようだと思っていました。つきあいはじめるころが山頂で、あとは一緒に下山するだけなのです。そして下山してしまえば、次の山にチャレンジしてしまうという。
しかし長期で恋愛をしている人たちは、必ずしもそうではありませんでした。山頂にとどまっているのかもしれませんし、下山した山に再度チャレンジすることなのかもしれません。とにかく長期で付き合っていても、いつまでもちゃんと好きに思っているというのは、とても不思議な感覚でした。
ちなみに僕の場合でいうと、もちろんある程度長期の恋愛になっていると思いますが、今でもちゃんと相手のことを好きです。何となく、好きと思う時期としばらく放っておいて欲しい(冷めている?)時期が波のように交互に来ている感じがします。
こうして、恋愛の話というのは、たとえそれがうまくいっていても、うまくいっていなくても、長期だとしても短期だとしても、その話しのそれぞれがとても僕には勉強になっています。
2012/02/20 微エロ
2012/02/13 日常

ぺらさんが、体重について記事を書かれていました。 食事がキモかそれとも運動か / (アタシにとってだけの)緊急速報
いわく最近太って来たと。
僕は友人に痩せるようにアドバイスすることがよくあります。痩せたら少なくとも今よりはモテる。というパターンが多いかな。
他人に意見をしていながら、申し訳ない気持ちがあります。僕自身も人に言えるほどではないのです。
かつて、おそらく去年の夏ぐらいだったと思いますが、がんばってダイエットをしました。そしてそのときには、そこそこ結果が出て、理想とする50kgにだいぶ近づいたように記憶しています。
しかし年末に向けて、忙しいのやら何やらで、結構太って来てしまったのです。そして今現在は55kgぐらいでしょうか。
僕の場合、太ることは単純に食生活と運動です。しかも太り始めてたときに怖いのは、痩せているときはちゃんと鍛えているので、多少の筋肉があります。
太り始める時は、まず運動量が減ります。なので筋肉が減ります。そして食生活は変わらないか微増なので、脂肪が蓄積されるようになります。このとき、筋肉の減少は若干の体重減少を含むような気がするのです。
つまり今の55kgというのは、筋肉が落ちて、さらに脂肪がついているので、筋肉が維持されたままの脂肪、、体重だとすれば、57kgぐらいには相当するのではないかと勝手に思っています。
僕がダイエットを始めるときは、ほぼ必ず1-2kg増えてから減り始めるので何となく正しいのでは無いかと。
一人でチャレンジしてもいいのですが、ここは他人と比べることによっての相対的な目標があったほうが、よりやる気が出ると思いました。ということで、勝手にぺらさんよりもより減量できるように、目標(ベンチマーク)の対象とさせてもらうことにしました。
2012/02/07 日常

ちょっと前の事ですが箸を買いました。
この箸は、夫婦箸という感じのセットだったと思うのですが、大小の2セットが入っていました。
2011-09-21 性的な相性(やや性的な表現が含まれます) この記事で掲載している写真の箸です。
長い箸と短い箸。さて、僕と彼のどちらが、どっちを使うのでしょうか。
僕は役割を主張して、僕が大きな箸を使うべきだと言ったのです。
彼は身体の大きさを主張して、彼が大きな箸を使うべきだと主張しました。
男女としての役割、そういうものは厳密に言えば無いのかもしれませんが、例えば比較的家事をするのは彼ですし、洗濯も掃除もそうです。(僕の家はやってもらいませんよ)
ってことは、もし男女の夫婦であれば、夫婦箸の大きな方は、きっと夫が使う事になるでしょうし、とくに異論は無いでしょう。
ここで問題なのは、男女の夫婦であればたぶん身長などは男性の方が高いだろうと言うことです。ってことは、身体のサイズが大きいってことで、箸のサイズを使い分けている可能性は考えられます。
僕よりも背格好の大きな彼は、「あんたは手がちっちゃいんだから小さいのでいいでしょ」そのように言うのです。確かに僕は背も低いですが、手の小ささにも定評があります。だから大きな箸じゃ無くて小さいのでもいいじゃん。と。
そのように言われて、僕はたとえ屁理屈だったとしてもそれに反論する言葉が思い浮かびませんでした。
2012/02/01 ブログ

ゲイタンのお知らせです。
横浜タン 公式ブログ。
2/25-2/26で横浜で開催です。
主催者の方は、かねこぉさん、いちさん、のりさん、YOUさんでしょうか。←ご指摘ください。
伊勢タン
2/18-19
主催者はみかさんです。
横浜のは公式サイトをご参照ください。宿泊もあるようです。
伊勢はあまり大々的に宣伝していません。僕が伊勢に行きたかったので、みかさんが連れて行ってくれるようです。と、言ってたら何人か集まりましたw。もし興味のあるかたは連絡ください。