2011/05/08 考え(ゲイ関連)

別れた恋人と連絡をとったりますか?僕は完全に切れる場合とほそぼそと連絡を取る場合に分かれます。といっても、そんなに付き合った人がいるわけではないので、相当に限定的ですが。
そしてやっぱり気になるのが元彼の今彼の話です。別れた恋人であっても当然友人関係が続いていれば、僕ではない誰かとの幸せな生活を願っています。
願っているのは事実なのですが、ここでカッコイイ・かわいい恋人を見つけた場合と、相対的にそうじゃない恋人を見つけた場合。これが非常に微妙で、僕はどちらの場合にも嫉妬心とはいいませんが、なんとも表現しがたい感情が芽生えるのです。
もし新しい恋人が、ぐうの音もでない程にカッコイイ場合。僕はおそらく嫉妬心に近い感情が芽生えます。と同時に、(ブサイクな)僕との別れを迎えてよかったのじゃないかとも思います。少なくともフリーのおかげで、今のカッコイイ彼を見つけられたのだと。
逆にブサイクな恋人を見つけた場合。このときはなんとも言えない感情です。こんな人と付き合うのかぁ・・・と。性格とかわからないし、いい人なんだろうけど、もっと見た目も優先すればいいのに、と。もちろん顔は些細なことなのでしょうが、やっぱりそのような感情が出てきてしまいます。
ゲイの世界では恋人になったとしても、すぐに別れを迎えることがよくあります。恋人を作るのはやっぱりとても大変なことだと思いますが、色々な部分に妥協せずに頑張ってほしいですし、素敵な恋人が見つかるように願っています。
2011/05/07 考え(ゲイ関連)

国境、非在、あるいは百年の祈り
おなじみのげんやさんのブログです。先日げんやさんはりふくんとの動画を公開してくれました。確か音声に関するげんやさんの所で、ぷよぷよに関する記事があったと思います。そこにはりふくんの「負けて」という言葉が入っており、普段のブログなどを通してイメージする音声と、負けてという音声のギャップに戸惑いながらも、悶々とした日々を送ることを余儀なくされていたわけです。(中国語講座などは、日本語ではなかったので除外)
それが今回になって、いくつかの新しい魅力とともにいろいろな発見が得られました。ということで、ややぶちかましすぎな感じですが、僕の感想と気づいたこと。
乙女(ナヨナヨ)は世界共通なのか。
最初の動画を見て、最初の部分では、若干のナヨナヨがありつつもごく普通の感じでした。骨格の細さなどから、可愛らしさなどは感じられつつも、ほのぼのとした動画になっていました。
しかし2本目になると、とたんに女性らしさが強調されてきました。sawakichiさんへのお礼のくだりなどは計算してもなかなかできることではありません。
そしてここまでは言葉や雰囲気を楽しむ場面。
翌日の船のくだり。
ここは顔の大きさを気にしているあたりすごく驚きました。女性は常に見た目を気にするらしいですが、まさにそれに通じるものがあります。(ちなみに全然でかくないのに、それを気にするっていうのは、どういうことなのでしょうか???)
そして僕の彼の話。
りふくんと比べると、僕の彼は全く乙女らしい言動はありません。少なくとも船に乗っても、揺れることはあまり気にしないようです。
今まで飛行機もそうですが、日本海での遊覧船ですごく揺れていましたが、彼は別になんとも無かったようです。(ちなみに、遊覧船を降りてから、船酔いで吐いている人を見たのは、数々の遊覧船の中でも初めてのことでした。それぐらい揺れていたのです)
普段の言動では乙女を感じることはなかなかありません。
しかし、ファッションなどに関しては非常に乙女に近い感覚を持っています。ちょっと買い物にいくとき、必ず着替えます。ジャージで軽く出かけるっていうのはダメらしいのです。誰に会うかわからないという理由のほか、自分が納得できないという理由もあるようです。モテを意識するとかではなくて、自分を納得させるために必要だと言うのです。
僕にはとても不思議な感覚です。
2011/05/06 カップル(彼関連)

僕は基本的にオープンです。隠すことが基本的に好きではないので、なるべくぎりぎりの範囲までオープンにしたいと思っています。
それは普段のブログの内容からもそのように感じてもらえることがあると思いますし、実際に会ったことのある人だったら、僕がある程度以上をオープンにしていることを理解してもらえると思っています。
そんな僕のスタンスですが、彼にも同様です。お互いあまり隠し事をする必要もないので、少なくとも僕は彼に対してほとんど隠し事をしていません。そりゃー確かにエロに関することは、お互いあまり関与しない方が幸せだと考えています。隠すほどのことじゃないけど、暴くほどのことでも無い。そのような部分を秘密と言えば秘密でしょうか。
例えばそれはエロとしてのオカズに関すること。僕はPCを使った仕事をしていますし、彼のPCを使います。調べようと思えば何から何までも調べることができますし、その痕跡を消そうとすれば、「消した」痕跡が残るので、それをきっかけにして調べることも可能です。もちろん限界もありますが、かなり深い部分まで暴ける手段となってしまいます。
「しかし僕はポリシーとして、それに興味があったとしても絶対にしません」
携帯もそう。僕は彼の携帯を見ることはしません。何か疑わしいことがあったとしてもです。もちろん彼の携帯はほとんど鳴ることが無いので、頻繁に鳴るようなことがあれば、心配は心配です。しかし心配する気持ちとそれを覗き見ることは別。ということで、そういうことはしません。
彼もきっとそうだろうと信じています。
少なくとも知り合ってから今まではその方法で全く問題なく付き合うことができました。しかし今まで何度か「そんなこと聞いてない」そのように言われてしまったことがあるのです。それがお金の使い方に関する話。

僕はリスクを比較的負うことに慣れている性格です。それは今までの生活環境というか社会生活の中でリスクを安全に負うということを学ばされてきました。
そんな僕が、付き合ってからしばらくして、ほぼ全財産をリスクマネーとしてつぎ込んだのです。
このときは本当に全財産で、所有している株などもそうですし、定額貯金などすべてを現金化し、全財産の預貯金が5000円ぐらいになってしまいました。それにくわえて、友人や親などに借金を申し込むほどでした。
※このように書くと、なんだか大変みたいですが、リスクマネーなのは事実ですが、別に借金取りに追われたりなどはありません・・・。
と、その顛末を何かのきっかけで話をしました。「今日はおごれないよ!だってお金ないんだから」みたいな流れで。
その時に、「そんな大変なこと聞いてない」と言われたのです。
たしかに積極的に話はしていませんでした。ひとつは絶対に反対されることが分かっていたこと、(リスクをとることについて積極的に賛成してくれるような恋人は疑問です)最大のリスクは若干の借金が残るものの預貯金がゼロで終わることから、ちゃんと働いていれば何一つ問題が無いこと。自己破産したり彼に影響がでることはありません。
以上のことから、そのことを積極的には話をしませんでした。ただしやるかもしれない、そしてその場合にはたくさんお金を使うというぐらいの軽く話をしていたと思います。

その後注意するようになったので、定期的にリスクに関する現在の状況をなるべく話をするようにしています。そしてその話をすると彼はいつも顔をしかめながら、「危ないからやめたほうがいい」そのように言うのです。
※ちなみにおかげさまで、この時のリスクマネーは開始してから1年間ぐらいは、ゼロになりかけていましたが、現在は少しずつ起動に乗り始めた?ぐらいな状況で、なんとかゼロにはならずに済みそうです。
2011/05/05 考え(自分関連)

宗教は信じていますか?僕は無宗教。おそらく大多数の日本人がそうであるように、僕も宗教を何か信じているということはありません。
しかし信仰している人をうらやましいと思うことはあります。信仰がうらやましいと思う理由は、自分の行動理念を比較的確立しやすいのではないかと考えているからです。「○○という教えなので」という理由で何かを行動したり行動しなかったり。僕みたいな無宗教からすると、なかなか理解しがたいことですが、行動の指針がハッキリしているところがうらやましいと思います。場合によっては法律や常識よりも信仰が優先される時もあるかもしれませんし、そこまで強い信仰心というのもきっとあると思います。
僕の友人で、宗教に傾倒している人はいません。恐らく個人的に宗教について積極的に活動的していても、僕は特にそういう事には興味がないので、僕に対してはアピールしてこないのかもしれません。「一度○○事務所に遊びに来てよ」なんていわれて勧誘されるのでしょうか?(僕は全く知らないので想像ですが。。。)
選挙の関連では友人の話を聞くことがありますが、僕に来たことはほとんどありません。そして僕は「自分で考えます」と答えるだけです。。
ただし先日書いたように、精神の充実を目指す場合、宗教じみた雰囲気になることは多くあります。それは友人の話を聞いていてもそう感じることがあります。
しかしそれは仕方のないことだと思っています。精神を統一させ、時には瞑想をし、心を落ち着かせ迷いを取り払い、充実を目指す。精神の鍛錬と言ってもいいかもしれません。このような行為は、昔から宗教と結びついていました。坐禅などはいい例でしょうか。
僕の知っている人で、精神を強く意識している人が2名います。そして2名とも宗教とは無関係ですが、精神を統一し、瞑想することの重要性を話していました。最初は頭の中で色々なことを考えてしまうらしいのですが、それを続けていると、ある時無になる瞬間が来るらしいのです。(無になったあとに色々なことに気づくのかもしれないが、よくわかりません)
正直そういう世界んことは全くわかりません。だいたいそうやって座っている時間があれば仕事したいと今の僕なら考えてしまいます。
しかし今は精神の成長を目標にしています。頑張って少しずつ気づきを増やしていきたいと思います。きっとそれは将来の何かに必ずつながるような気がしてならないのです。
2011/05/04 考え(ゲイ関連)

毎日会いたいという人がいる一方で、月に1回と言う人もいます。どちらが正解ということではないので、非常に難しい問題だと思います。
会う回数というのは様々な理由と共に決定されると思います。仕事や学校が忙しいとか、時間を作ってなるべく会うとか。
性的な相性は言うまでもなく重要ですが、この会う頻度というのも非常に重要な事だと思います。僕も彼も会えるときに会う。そうじゃなければ無理はしないというスタンスです。今は僕のほうが相対的に忙しいことが多く、仕事は毎日そこそこ遅いですし、会う時間を作るとすれば僕の方です。
そんな僕は、なるべく会いたいと思うので、週に2-3回ぐらいがちょうどいいいと考えています。
彼のほうは、意外とドライで、会えないときはかなり早いタイミングで今日はダメといってきます。僕はぎりぎりまで頑張って、なんとかして会うようにと考えているのに、彼はこの感じじゃ今日は無理だなーという感じですぐに判断してしまうのです。
しかし今はまだ彼の時間は比較的あいているので、大きな問題にはなっていませんし、またお互いの考える会う頻度というのは、ちょうどいい所に収まっているように思います。
ある程度社会的な習慣があるので、自然にそのように収束していますが、例えばこれが学生同士だったりすると、非常に難しいことだと思っています。
毎日会おうとすれば時間的には可能かもしれません。しかし自身を振り返ってみて、当時の僕であれば、週に1回ぐらいがちょうどいいと考えていたように思います。それ以外の日は、遊びの中から刺激を得たいと考えていました。恋人から得られることも非常に刺激的でしたが、それと同じぐらい、日常の中には刺激がありました。※学生の時には暇とかも含めて刺激的だったように思います。
会うペースの不一致が、お互いの距離を広げてしまうということはあながちありえない話でもありません。
時間の作り方もそう。忙しい中で会う時間を捻出すると、「頑張って会っている」ということになりかねません。「頑張って時間を作る」ということについて、僕自身はその表現が正しいとはどうにも思えません。なのですが、頑張って時間を作っているのは事実の部分もあります。
彼が、これから働くようになって、今までのように空き時間に会うわけではなく、まさに時間を作って会うようになったとき、その時はきっと僕が今までずっと「頑張って時間を作ってきた」事の実感をしてもらえるのでしょうか。
それとも、彼が今まで言っているように最低限の仕事ができる職に就いたとすれば、きっと働いてからも今までと同じペースになるのでしょうか。
2011-05-06 追記
※本記事、もともとの下書きと、いくつかのブログから参考にしていました。時間の関係で紹介できなかったので、以下に参考サイトとして追記しておきます。
とにかく僕は最低な男だってこと。:笑顔、ときどき涙。
クボタノートさんからも参考にしたように思ったんですが、それらしい記事が見つからなかった代わりに、最近はほとんど会う・会いたいなどの話題だったので、広く薄く参考にしていたのかもしれません。クボタノートは「リンク」からどうぞ。
2011/05/03 日常

僕はまだそこまで一人暮らしの期間が長くありません。2010年の今はまる3年です。実家にいるころ、ずっとテレビを見ていました。当時ドラマはほとんど見ませんでしたが、バラエティーやニュースなど大好きでした。
家に帰って部屋に入ると、まずはテレビを付けます。特に集中してみるわけではないのですが、かすかに流れている人の声というのが安心でもあったし、それが自然で日常だったように思います。
小さい頃に、一番最初に欲しくなった高価な物は自転車だったし、テレビでした。それぐらい僕の生活にはテレビは欠かせないものでした。もちろんゲームも大好きだったんです!
大学生ごろになって、ちらほらとテレビを持っていないという友人がでてきました。そのころになると僕もテレビを観る頻度は減ってきていました。そもそも勉強や遊びで家にいる時間がそもそも少なくなっていたので、それがテレビを見る時間を減らしていました原因です。それでも部屋に入ると、相変わらずテレビは必須の存在でした。。
社会人になって、テレビを持っていないと言う友人の家に遊びにいったことがありました。部屋が殺風景で、時間を持て余し手持ち無沙汰になった僕は、僕が一人暮らしするときには、最初は我慢できても結局買うことになるなぁと、その時に思っていました。
そんなことなので一人暮らしを始める直前まで、テレビが常時ついている生活をすごしていました。集中してテレビを見るようなことは少なかったが、それでもテレビがついていることに安心していました。
一人暮らしを始めるにあたって、最初は家財道具を揃えるのにお金がかかります。まったく贅沢な生活を望んでいませんが、それでも洗濯機、冷蔵庫、電子レンジなど色々と必要になります。もちろん敷金や礼金なども必要です。
そうなったとき、自分にとっての優先順位は、冷蔵庫(ビールのため!)、ガスレンジ(食事!)、食器、洗濯機、電子レンジ、布団でした。(実際住み始めて1週間ぐらい布団がなくて苦労しました)
一度に大金が出ていくのは負担だがら、少しずつ買い揃えました。実際に上記布団までは2週間ぐらいで揃えたが、それ以降については、ほとんど家財道具は買わずに過ごしてしまいました。
そのため、テレビもなければパソコンもない。インターネットもできないという、非常に殺風景な状態になってしまったのです。そして意外とすんなりテレビの無い生活ができています。
その結果テレビを見ないクセがついた今は実家に帰っても、テレビを観ることは殆ど無い。
今になって思うとすごく不思議です。昨日まではテレビのある生活を送っていました。そして一人暮らしが始まってすぐにテレビがなくなったのです。昨日までどっぷりだったテレビが突然なくなることの戸惑い。それは全くありませんでした。
彼の家ではテレビを見ますが、僕自身が欲しいとは全く思いません。
2011/05/02 カップル(彼関連)

※この記事は先日の東北沖地震の前に書いています。一部追記しましたが、整合性は取れていない可能性が高いと思います。
彼と出会ってから僕の意識が大きく変えられたことの一つに、旅行があります。かつて僕は旅行が大嫌いでした。本当に大嫌いで、東京以外のどこにも行きたくないし(たとえ関東近辺であっても)東京の騒がしくてゴミゴミしてて忙しい雰囲気が大好きでした。さらに地方のガランとした、ゆっくりした、自然のある、そういう雰囲気が苦手でした。
と、雰囲気が嫌いと言うこともありましたが、やはり旅行には日程や行程を決める必要もあります。そしてこれも苦手でした。
行きたいところもないし、行くための準備も嫌いだし。だから僕は彼と出会うまでの26年間ぐらいで、ほとんど地方らしい地方に行ったことがありませんでした。せいぜい大阪、鹿児島、北海道、千葉、横浜、茨城などの近場だけでした。もちろん大半は仕事で必要だったからという理由です。
彼と知り合ってから、最初の頃の旅行は抵抗がありました。だって旅行はケンカの原因になったり、四六時中一緒に過ごすことが不安だったり、行きたい場所、乗りたいもの、それらが一致するとは限らなかったからです。楽しみというよりも不安のほうが大きかったように覚えています。
と、ここまで書いておきながら、初めての旅行はどこに行ったのか正直覚えていないんですよね。
ただ初期の頃に行った旅行で、僕が旅行好きになる決定的な事は今でもハッキリと覚えています。そして一番印象に強く残っていて、一番楽しかったのもその旅行。
それは淡路島に行ったときの話です。僕が中学生のころ、忘れもしない阪神大震災がありました。すごく衝撃的なことで、僕と同世代でなおかつ関西圏出身の友人はまず間違い無く、このことを記憶に強くとどめています。不幸にも友人や知り合いが亡くなったり、危機一髪だったという記憶と共に。また当時は関西圏から転校してくる人も何人か見かけました。それほど関東人である僕にも、とても身近なこととして捉えていました。
そして「阪神淡路大震災」と表現されるように淡路島もとても大きな被害が出たと言うことです。
だから僕は人生のとても大きな衝撃を受けた出来事の現場を見たいと思っていました。だけど一人で行くことなんて出来ないし、だれか一緒に行ってくれる人もいませんでした。楽しいかどうかもわからないし。
彼に淡路島に行きたいという話をして、もちろん大阪とか神戸とか明石とか色々まわるような日程を考えてくれました。旅行の勝手がわからない僕はすべて彼にお任せして。
行ってみると、それはそれは楽しい旅行でした。震災というとても大きな災害の悲惨さを目の当たりにしましたし、一方で復興の凄さを見てきました。大阪も明石も神戸もとても印象的で魅力的な街でした。たこフェリーだったかな?面白かったし。
僕には旅行のイメージがすべて変わりました。こんなにも楽しいのか、と。それからは本当に定期的に色々な場所に行くようになりました。僕は飛行機が怖いのですべて国内なんですが。
伊豆も面白かったし、静岡もおもしろかった。佐渡島もよかったし、北海道も。広島、厳島神社もいいですね。まだ主要な都市しかまわっていないんですが、これからもいろいろな場所で色々なことに触れられたらいいなぁと考えています。いずれ海外にもチャレンジ・・・でしょうか。
http://www.youtube.com/watch?v=kHWLHtUkQaQ
クレイモアがどれぐらい好きなのか動画を撮りました。
2011/05/01 日常

僕はとても不思議に思っています。僕の撮る写真はすべて無機質に見えるのです。動物などはともかくとして、街並みの写真はすべて生活感が無いというか、なんというかすごく悪くいうと死んでるようなイメージでしょうか。別にこれはこれでいいのですが、なぜここまでそのようになってしまうのかとても僕は不思議です。
去年の末にカメラを買い換えました。とても気に入っていますが、サイズが大きくなって取り扱いが手間になったことや、モノに近づいて撮れないことなど、いくつかの小さな不満点があります。
特に僕は今まで対象物に非常に近づいて写真を撮ることが多かったのでこれには残念でした。
そして、画像のこと。
カメラを買い換えたと書きました。このブログの去年の記事はすべて安いデジカメで撮影した画像です。そして今年の1月からはほとんどが買い換えたカメラによる画像です。
そして、なんも違いがありませんよね?僕にはほとんどブログに掲載されている画像からの違いは感じません。

つまりそういう事なんだと思います。カメラはあんまり関係ないと。ただし、僕自身が気に入っていると思ういくつかの画像は、新しいカメラの写真であることが多いような気がしています。
また、ボツにする画像が減っています。これは主に今までのカメラはピンぼけがひどかったのです。
さらに、このブログでは画質が多少落ちていますが、実際には画質は今までのカメラよりは向上していると思っています。
ちなみに撮影場所はたいてい彼と遊びに行ったときの場所で撮っています。撮った写真の中から掲載できそうなものを選んでいるので、時期がリンクしません。ようやく京都の画像になったぐらいです。ちなみに京都は3月の出来事です。。。
次はようやく少し花見の写真を載せたいのですが時期が・・。適当に考えます。
昨日の記事ですが、あんまりちゃんと書けてないと思っています。そのため、明日にでも追記・修正をしたいと思います。
2011/04/30 日常

僕はあまり写真がすきではありませんでした。撮るのもそうですし、撮られるのもそうです。だからいままで写真として残すよりは、記憶で残しておきたいと結構本気で思っていたのです。
しかし仕事で少しだけデジカメを使う機会があり、それならばと、そして彼とも落ち着いてきた(半年ぐらい)ので安いデジカメを買うことにしました。
最初に撮影した画像は、僕らしくウオッカでした。これが07年の話。
08年からは少しずつ旅行などをするようになったため、たびたび活躍してくれました。08年は全部で380枚の写真を撮りました。
09年も同様に380枚でした。
10年からは一気に増加して、1650枚。今年はすでに1100枚の撮影をしています。
ちなみに10年から増加しているのは、なんとブログで使うようになってからです。
このブログは2010年の10月から始まりました。2010年9月までの撮影枚数は156枚だったのです。10月をすぎてから、一気に毎月100~200枚を撮影するようになりました。ちょうどこのころから、写真の楽しさに気づいた頃でもあります。
前にも何かで書きましたが、一枚一枚の写真には大した愛着はありません。しかし僕自身がとても驚いていますが、こうやって記事と共に画像を掲載すると、その一枚一枚がとても価値のある画像のように見えてくるのだから不思議です。
例えばおしっこプレイの記事なんて、単なる便器ですけど、すごく調和があるように思いますし、それ以外の画像も結構好きにみえてくるから不思議です。
そして重要なのは、(少なくとも僕が重要だと考えているのは)写真が上手に撮れているかはあまり関係ないということです。
少なくとも僕の場合は決して写真が上手ではありませんし、なんにも考えずに好き勝手撮っているだけです。それでも文章と組み合わさる事によって味が出てくるのです。
※ちなみに写真が上手な人は、ブログに違う味を追加することができるので、これはこれでとても羨ましくもあります。げんやさん、ケイトさん、くぼたさんは画像もすごく楽しめます。
※ 2011-05-02 追記
ちなみにここ最近の写真で気に入っているのは
2011-01-26 青々している空が好きです
2011-02-04手元が好きです
2011-02-06雰囲気が。
2011-04-21飛行機。
2011/04/29 考え(ゲイ関連)
2008年のお花見
ずいぶんとお遅くなりました。1ヶ月近く過ぎてしまいました。僕のお花見の話。
お花見が僕は大好きです。特に花を見るのが好きというわけじゃなくて時期が短いことや、外でお酒を飲みながら楽しめることなど、桜というよりも、その環境が好きなのです。
と同時に、毎年とても悲しいのがお花見の時期でした。
花見の時期=4月はとても様々な出来事があります。出会いであったり別れであったり。そしてそれは花見の体験と共に記憶に残ることが僕には多くありました。
去年は卒業したばかりで不安の中での花見だったな、とか。去年は後輩をたくさん集めてにぎやかなお花見だったな、とか。
もちろんその時に付き合っている恋人と花見をすることも何度かありました。そして毎年必ず思っていたのが、「来年は誰と花見ができるのだろうか」ということでした。
今一緒にお花見をしている恋人と、来年も花見をできる可能性はほとんどありませんでした。少なくともその時までの経験から言うならば、可能性はゼロでした。
楽しいお花見を友人としている一方で、恋人とのお花見は、楽しくもはり、はかなくもあったのです。
2009年のお花見
今の彼と付き合うようになってからは、そこそこの期間が過ぎているので、いろいろなところでお花見をしました。毎年だいたい駒沢公園・隅田川・上野にはほぼ必ず行っており、あとは都度その時の状況に応じています。(そろそろ新しい場所も開拓したいですね)
当然最初に行った花見では、やはりとても心配に考えていました。ほぼ絶対に翌年は同じ恋人とこの場所に来ることはできなかったので、今回もそのように考えていました。
しかし1年・・・2年・・・と同じ場所でお花見をすることができています。

2010年のお花見
僕は今までこのブログに書いているように、彼のおかげで喜んだり大変だと思ったりいろいろなことがありましたが、おそらく最も幸せに感じることのひとつとして、花見を翌年も同じ恋人と出来るというのが大きくあります。
※この記事を書いていて、「長期の恋人関係で一番幸せなのは長期的な計画が立てられる」っていうの書いたことを思い出しました。しかしこちらの記事はまだ公開していなかったので、早々にまとめて公開したいと思います。

今年のお花見
今となっては、各地に行って桜の木を見ると、ここまで樹勢があるなら、きっと桜の季節は綺麗だから、花見の季節になったら今年はココに来てみよう。そのように想像できるのはとてもうれしいことだと思っています。