2013/11/01 考え(ゲイ関連)

ここ数回の記事はカミングアウトのことが多いですね。
ということで、今回もまた言いました。そしてその相手は親でした。(ちなみに母親に言いました)
まず、今までのカミングアウトと、今回のそれは大きく意味が異なっています。
今までは僕が言う必要があると考えていたのです。年齢などを考えたときに、そろそろ結婚という判断をするのは不自然では無い年齢になりました。そして友人たちには恋人がいる旨を伝えているので、なぜ早く決断しないのだろうか。そのような会話の流れになるのです。
そこで、こういう事情なんだよ。そういう意味で、現状を伝えるのは僕にとって必然でした。
一方で、親に対してのそれは、そこまで事実を伝える必要がないと考えていました。結婚などの選択は僕の自由な判断にゆだねてもらうしか無く、それが親の望む方向性と違ったとしても、親はそれをどうにもすることはできません。
そしてまた現状を、事実を僕が伝えたとして、それを受け入れたり、それについて考えさせることは、とても酷なことだと思っていました。年齢的なことを考えても、それができるのかについても、若干疑問があったのも事実です。
だから僕は、積極的に言うつもりも無く、また言わないだろうと考えていました。
そんな中で僕にとって、新しい考えに触れる機会がありました。
ゲイのカミングアウトをテーマにした書籍ですが、それはとても葛藤がある中で、それぞれ方がそれぞれの決断をしていました。
僕にとってのカミングアウトは、そこまで葛藤が生じることでは無く、どの程度まで友人や交友関係に事実を伝えるのかという程度で、あまり悩んだことや考えたことはありませんでした。
友人にカミングアウトをしている人はたくさんいました。しかし親となると、相当に勇気がいるというか、「言わないだろう」 / 「言えない」と考えている人も同様にたくさんいたのです。
なるほどそこまでみんな葛藤があったり、悩んだりするのか。と。僕は初めてそのときに考えることになりました。
じゃあ、僕は伝える事について、葛藤や悩みはありません。みんながそんなに言いにくい事なら、率先して言ってもいいな。そのように僕は考えました。幸いなことに、事実を伝えたときに親がそれを受け入れられるかについては、まったく想像がつかないけど、結果としてそれなりにいいところに落ち着くだろう自信はありました。僕は家族と今までもそのようにして過ごしてきたので、その辺は何となく分かります。
また、もし自分の行動が社会の空気を変える事になるかもしれません。もし僕の行動や、それ以外の同じような人たちを見て、自分も伝えてしまおう。そのように考える人が一人でも増えるのであればとても素晴らしい事だと思います。
だから僕は今回親に言ってしまうことにしました。
定期的に母親と食事をしている僕ですが、そのときも今までと同じように食事に誘いました。(ちなみに父も健在ですし仲良くしていますが、外食は好まないようで、誘ってもこないため、母+妹がいたりいなかったり。というのがほとんどです)
すでに妹たちには伝えてあるので、家族で知らないのは、父と母だけです。
僕「あのー。恋人の話を今まで “いる” とは言ってて、そこそこ期間も長いという話もしてたと思うんだけど。」
母「うん」
僕「恋人って言うのは男性なんだよね」
母「あらそうなの?」
という流れでした。
「わたしに言ったということは、お父さんに言ってもいいの?」
「ん。べつに隠すような事じゃ無いから、その判断は任せます」
ということと、
「恋愛って言うけど、手をつないだりとか、性的な事とかどうなってるの?」
「男女と一緒だよ。一緒にいたいって思うことは普通にあるのはもちろんだけど、手をつないだりとかキスしたりとか、それ以上の事も含めて普通の恋愛をしてるから、相手が男性っていうのはあるけど、単純に性別が違うだけだよ」
さらに
「あなた女性だめだったの?」
「俺はどっちも大丈夫だから、今の相手が男性ってだけだね。だからもし、今のような相手が女性だとしたら、ここで話をしていることは、結婚とかそういうことだったかもね」
という感じでした。
もう少し、家族ゆえの配慮の少ない辛辣な意見や、感想、質問があればおもしろかったのですが、そういうことも無く、普通に終わってしまいました。
2013/10/29 考え(ゲイ関連)

バック(アナルセックス)ができないなら、最初からそう言って欲しい。そのような意見を聞きました。
話を詳しく聞くと、性的な関係になったときにそれができないのは大いに困るという話で、物足りないとか、やっぱりバックができた方が気持ちいいから。そのように言っていました。
なるほど。確かにその考え意見は非常によく分かります。相手がそれができるのであれば、大いにしたいと思う行為ですし、その期待がある中で、直前になってできないと言われたときのショックは相当な物だと思います。
そこまでハッキリと主張するのは、なかなか勇気のいることだとは思いますが、だからこそそこまで重要視しているということだとも思いました。
僕などはバックを理由に仲良くなるチャンスを失ってしまうのは、もったいない事だと思っています。しかしそういった意見を持っている人たちは、そもそもバックができなければそこまで仲良くなれないよ。という意見でしょうし、それ自体は非常によく分かります。
さて、そのような主張を聞いたとき、僕はある意味ではとてもうらやましく思いました。
僕の意見、考え方では、バックはあまり重要視していませんでした。もちろんできた方がいいけども、できなくても仕方ないかな。と、そのように考えていたのです。
と同時に、できる人を見つけて、その人とすればいいや。きっと僕ならそのように考えます。
最初に挙げた友人は、できないなら先に言って欲しいというのは、それなら、できる他の人を探すという意味でしょう。その人ととりあえず仲良くなって、さらにできる他の人を探すわけでは無いようです。
つまり裏を返せば、ちゃんと一人に絞っているという話しでもあります。
これはとても大切な事だと思いました。友人もこれから仲良くなろうとしている人も、現在の自分の立場を表明することによって、変なトラブルが生じなくなります。
僕のような考え方だと、せっかく仲良くなっても他の方向を向くことになりかねないため、それは決して良いことだとは思いません。
だから、最初に聞いた時にはちょっと乱暴な意見だなーと思ったんですが、ちょっと考えてみたら、しっかりと責任のある考え方・主張なのでは無いかと思うようになりました。
2013/08/14 考え(ゲイ関連)

恋愛をするときに、恋愛が何にも優先して一番だという人がいる。一方で、恋愛よりも優先するべき事があると考えている人もいる。それはどのように考えるのが適切で、より幸せになり得るのだろうか。
僕自身のことでいれば、まだ恋愛の経験が乏しかったり(今でもそうですが)、色々な事に興味を持っていたり、恋人が本当に現れるのだろうかと思っているようなとき、優先するべきは恋人よりも他にたくさんあったように思う。
例えば友人との飲み会というのは、とても重要だった。またもし「ちょっといい人」がいたとしても、新しい出会いを広げるのは、とても重要であった。それは人脈を・・という表現を使う事もあるだろうし、単純に恋愛の可能性だけを言うのであれば、「ちょっといい人」は無数にいた方が成功する確率が高まるからだったもしれない。
そしてもちろん、学生の時には学業もバイトも重要だったし、働くようになってからは仕事も重要であった。
場合によっては、家族とのイベントを大事にする場合もあると思う。
どれが一番、もしくは最優先させるとハッキリ決めることは難しいかも知れないが、恋人の優先順位というのは、友人との行動と同等か、場合によってはそれらよりもやや劣っていたかもしれない。
個人的には、しかしこれらはとても重要なことだと考えている。○日は○○があるから会えない。そういった理由で会う回数が制限される場合、もちろんお互いの普段のスケジュールについては、最大限尊重するべきだと思う。わがままを押し通すようなことがあってはならないし、都合が合わないことがすぐに悲観的な要素にはならない。
しかし調整もされずに会えないという選択は、関係性の重要な意味を持つように考えている。○日はだめだけど、○日なら大丈夫。そのような代替案を出すのは半ば常識のようにも思うし、代わりに電話をマメにするようなことが代替性をもつかもしれない。
つまり会えない事が問題と言うよりも、そのようなこと、、、会うことやコミュニケーションの努力を行わないこと、が問題だと僕は考えている。
もちろん電話やメールが苦手ということは十分にあり得る。僕自身がまさにそれで、会わない・会えないという事になれば、おそらくすぐに疎遠になるだろう。それは心が疎遠というよりも、距離を縮めるための行動をすぐに怠る僕自身に原因がある。しかしいくら心が離れてないと主張したところで、その行動が伴わなければ、それを認めてもらえないのは仕方が無い。
もちろん、恋人が一番だから電話をするとかメールをするとか、そういうこととはまた違うのが難しい。
仕事も重要である。僕の場合、恋人と過ごす時間は最大限調整をする。といっても土日が概ね休みである僕たちは、あまり調整ということはしなくても大丈夫ですが。
場合によっては、仕事は恋人よりも優先されるときがある。特に経済的な困窮は僕は絶対にイヤなので、もしそれとトレード関係になるのであれば、僕は恋人よりも仕事を優先することになる。とくに知り合ったときは、僕は仕事が不安定だったので、そのように考えることが多かった。「遊んだときに、少しぐらい多めに出してあげられるぐらいの余裕がないのに、気軽に遊んだりなんてできない」直接的にそのような表現はしなくても、それに近いことは言ったかも知れない。たぶん彼は「そんなことは関係無い。そんな理由で会う回数が減ったら意味が無い」って言いそうです。
仕事やプライベートを優先する人は、いつまでたってもその優先順位は変わらない。
恋人関係が長期にでもならない限り、「恋人優先」とする生活にはリスクがある。恋人を優先するようになって、もし破局を迎えた場合、どうすればいいのか。今までは恋人がいたからあんまり遊べなかったけど、別れたから、また昔みたいに頻繁に遊ぼうね!そういうことをしない人が多いのではないか。
だから長期的に恋愛をして、少しずつ恋人が優先されることになる。しかし当然、少しずつなので、嫌気がさしてしまう事も少なからずあるのではないか。
あまり気にしない。そういう場合もあると思う。僕は遠距離恋愛については、あまり実感がないので何とも言えないけど、近距離にいる遠距離恋愛のようなものだろうか。会う回数が少ないことは気にしないのはいいけど、僕だったら優先順位への考え方に疑問を持つ。
また、会う回数が少ないというのは、距離を縮めるチャンスが少ないとも言える。たくさん会えば、良くも悪くも相手の色々な部分が見えてくる。いいと思えるところもあるだろうし、我慢しなければならない部分もあると思う。これが短期間のウチに見えるのであれば、今後の対策も練りやすい。しかしある程度の期間が過ぎてから、イヤな部分が目についたとしたら、それをそのときに乗り越えるのは、覚悟がいるかもしれない。
もちろん頻繁に会いすぎるのもアレなので、適度な回数を会うことが僕はとても重要だと思う。その回数というのは、できれば週に1回。それが叶わなければ2週間に1回だろうか。
何もすることなくてちょっと会うのはアレだなぁと思うような時にでも一緒に過ごせるような関係になれば、あとはきっとうまく続くのではないか。
2013/06/26 考え(自分関連)

今まで僕は嫉妬心は強くないと思っていました。
というのも、基本的に無関心な僕は相手が何をしていても特に気にしませんし、それを知りたいとか詮索しようとか思ったことがありませんでした。
もちろん携帯を見るようなこともないし、僕が自由でありたいことの引き替えに相手にもそれを提供していました。
そうはいっても嫉妬というのは、状況に関係無くやってきます。そして僕はその嫉妬心が非常に強いことを実感したのです。
例えばカップルを見ると、それがどのような形態であっても。。。例えばうまくいってないような場合だったりとか、僕にはまったく理解できないようなつきあい方だったりとか。そういうことに関係無く、恋人関係の人がいるということで、何とも言えない、うらやましいというような気持ちが芽生えてくるのです。もちろん僕自身の状況は棚に上げながら。
という、まずは僕一人でも起こる嫉妬心。
彼が近くにいれば、嫉妬心はまた強くなります。その顕著な例が、誰とも会話をして欲しくないというものです。
もちろん会話を禁止するほど、僕はマヌケではありません。自由に発言があるべきだし、他者からの質問も自由であるべきです。それは当たり前です。しかし、相手が誰かと積極的に会話している様子を見たら、きっと嫉妬心が芽生えてくると思います。そしてそれは理屈で分かっていても、それを変えることは難しいと考えています。
という、単純でよく起こりうるシチュエーションでそれですから、友人がいればその友人が気になるのは事実ですし、メールアドレスの交換なんて!って思うのも事実です。
ただし、もちろんどれも規制はしません。当たり前です。
別に何が心配とかそういうことではありません。もちろん僕の性格なので、きっと周りからの「なんでかお。さんなの?ホントにいいの?」的な質問を彼は受けることになるでしょう。まあそれはそれで仕方ありません。
2013/03/25 考え(ゲイ関連)

かつてオレにはセフレというのは正しくないかも知れないが、セックスを楽しむだけの友人がいた。一緒に食事をしたいとは思わないし、どこかに出かけたいとも思わない。
でも生理的に受け付けないと言うこともなく、むしろセックスの前後の会話は他愛のないことでも楽しかったし、いくつかの話の内容は今でも覚えているぐらいである。
そんなセフレとはどのぐらいのペースで会っていたのかは忘れた。ホテルの時もあれば外の時もあったし、相手の家というのもあったような気がする。
ゆっくりしたのから、激しいのまで、様々なプレイをしたような気がする。
ちょうど同じぐらいの時、別にもセフレがいた。
あまり覚えてないけど、頭のいい人で、一緒にお風呂に入ることが好きだったように記憶している(ほっとんど覚えてないけど・・・)
この人は恋人がいると言っていた。もちろんセックスだけをする相手に恋人の有無を訪ねるほどオレは野暮じゃない。それは当時のオレだってそう。だけどなぜか恋人がいるという話になった。
ある日、一戦を交えてから会話をしながら何気なく部屋の棚を見た。するとそこには、最初に書いたセフレと、今目の前にいる人が仲良く2人で写っていたのである。
「もしかして恋人ってこの人?」そのように聞くと「そうだよもうけっこう長く付き合ってるんだ」確かそのように答えた。
このときオレは何とも言えないむなしさを感じた。色々な理由があるにせよ、この二人はきっとうまく恋愛関係を続けていたるのだろう。オレというスパイスを隠しながら。
しかしオレの存在というのはどうなのだろうか。単純に快楽のためだけに関係を続け、場合によっては恋愛をしている2人の関係にヒビを与えるかもしれない存在である。
2013/03/11 日常

ゲイは食べない。そういう話になることがある。これは何も「そう思う」というイメージが先行していることではなく。今までのいくつかの経験の中で実際に確認されている。
僕はそういう意味では昔から小食なのかもしれない。そうはいっても、彼だって僕と同じぐらいの量しか食べず、サイズは僕の方が小さいので、そういう意味では相対的に僕よりも食べないと言うことになると思う。
またそれ以外の友人たちを見回しても、僕はあくまで標準量を食べるという認識があり、決して少ないとは思ったことがなかった。
もちろん職場では、男性の職員は身体を使う仕事と言うこともあり、弁当を2つとまでは言わないにしても、弁当1つにカップ麺などの食べ合わせをすることがあり、ずいぶん食べるなぁと言う印象があった。
しかしあくまでもその程度でした。
いくつかのイベントをこなしていく中で、1人前について、ずいぶんと大きな認識の違いがある事に気づいた。
僕としてはせいぜい1人前が 500g あれば十分だと考えている。この他に飲み物や、お菓子やデザートなどを食べたら、おそらく余るような食材が出てくるだろう。そのような量。
そしてその考えは今までの中で概ね適切だと思える結果だったように思う。年齢層などによっては300gまで減らしても良いと思っているぐらいです。
と、そういう話をすると、必ず異なる意見が出てくる。そしてそれは「あまりにも少なすぎる」という意見である。根拠を尋ねると、例えば主婦の人だったり、例えばそういうイベントを体験した人だったり。そういう人たちは具体的な量はともかくとして、実感としては500gは想像している量の半分以下というぐらいのようである。
確かに僕は男の兄弟がいないので、1日にどのぐらい食べるのかは正直分からない。しかしめちゃくちゃすごいという話はよく聞く。これでもか、これでもか。っていうぐらいに食べると。それでも痩せているという話をだいたいセットで聞く事が多い。
また別な例では、500gぐらいの量だと、小学校低学年ぐらいのイベントの時に用意する量だというのである。
そう考えると、20代~30代の男性が多いグループにとっては、確かに致命的な量という計算になる。
ゲイはそこまで食べないのかなぁというのが正直な気持ち。確かに食べない人は多いけども、その年代の人ってたいがいみんなそうじゃないの?と。
2013/02/27 考え(ゲイ関連)

今まで何人かにカミングアウトをして、大半は何にも変わっていません。そもそも恋愛の話なんて滅多にしないですし、改めてそれについて聞かれる事もありません。だいたい男女のそれと恋愛は変わらないように思います。
そんな中、唯一一人だけ、言わない方がよかったかも。そのように思う人がいるのもまた事実です。それは妹です。
妹は、どうも僕が男性を恋愛対象とすることが理解できないようです。それは言葉の端々でそれを感じます。
もちろんそれは僕という人間の性格を妹はよく知っているからかもしれません。家族として一緒に過ごした20数年で、妹は僕という人間の性格をよく知っているでしょう。だからこそ、そのことに理解できないのかもしれません。
例えば妹と会話をすると、「男性との恋愛は一時的なものでしょ?」とか、「女性ともつきあえるならつきあわないの?」とか。将来は?とか結婚は?とか。子供は?とか。一緒に暮らすの?とか。
これが25歳ぐらいのころであれば、もしくは恋人との関係が1年以内であれば、それらについての回答は一通り常識に則ったものかもしれません。
男女であろうとそうじゃなかろうと、恋愛は不安定な物だと僕は考えているので、今が一生ではないと考えています。だから一時的かもしれないし、そうじゃないかもしれない。それは否定できない部分だと思っています。
しかし長い期間を一緒に過ごしている今は、さすがに一時的であるとは言えません。第一そのように考えるのであったら、僕の若さが今よりもまだあったころに、最後の決断(結婚など)をするような努力をしていたと思います。

妹はやや古い考えを持っているようで、「結婚して子供を」という部分を捨てきれないような感じがします。最近はさらに進んで、「家があって、家族団らん」という考えがとても強いようです。
普段の行動や言動はそんなことは無く、ごくごく一般的な考えを持っているように見えます。しかし何かという時に、そのような古い考えがでてくるようです。
もちろん男性同士に嫌悪があるという事ではありません。それについては理解があるようです。しかし結婚や子供という部分において、または男性同士での長期的な円満な関係という部分に疑問を持っているために最初に挙げたような発言になるのかもしれません。
結局長期的な関係は、精神的な要素が大きいと思いますし、そうであるならば制度としての結婚がどの程度の意味を持つのか、僕にはよくわかりません。
妹の理解が僕の友人たちと比べて、今までに無いパターンなので、とても興味深い部分ではあります。もう少しこの件については、妹とも話をして、色々聞いてみたいと思います。
2013/01/25 日常

酔ったときにする他愛もない話の中から、僕自身の気持ちが整理されることがあります。それが初詣に関する事柄。
とはいっても、考えがある程度方向性を持つことができたのは、ずいぶん昔の話です。
初詣いってますか?
賽銭はどうしてますか?
お願い事はしてますか?
僕は性格に似合わずなのか、神社仏閣系は好きなのです。身近なところで言えば大きな施設であれば、日光などもそうかもしれませんし、身近なところで言えば、川崎大師やら浅草やら、至る所にそういった施設は存在しています。
地方にも同様に方々にありますし、最近ではショッピングモールの屋上などに、そういうイベント施設が設けられる事もあるようです。
何人かの話を聞いていて、初詣に対するスタンスというのが、僕自身はかなり異なっているのではないかと思い、ちょっとそれについて書きたいと思います。
初詣には行かないという話を聞くことはあります。僕はこれについては、特に何も思うところはありません。せっかくのイベントなので、それに参加すれば楽しいのにとは思いますが、そういはいっても、それ自体はとくにおもしろい作業でもないので、特に混雑しているということもあり、それを避けたいと思うのは、とてもよく分かります。
賽銭についての考え方。そもそも賽銭って何のためにあげるのでしょうか?願い事を叶える対価?
話を聞くと、奮発して少し多めに入れた。そのような話を聞くのです。そしてその場合の意図は、願い事の深刻さと賽銭の金額は比例しているように思います。
そのような考え方は気持ちはわかるものの、愚かなこと、間違ったことだと思っています。そもそも大金を積めば願いが叶うなどというのが、すでにどうなのでしょうか。また願いを叶える方も、この人は大金だから・・・という理由で叶えたのだとしたら、それでは本末転倒な気がします。だから僕は賽銭については極少額にしています。本当は無くても御利益には関係無いと考えていますが、イベントを楽しむためには賽銭をあげるということが、必要なアイテムである事も事実です。

願い事について。
願い事は他人に言うと叶わない?そのように言われているのでしょうか。まあ僕も、他人がたとえくだらない願い事をしていたとしても、それで良いと思いますし、当たり障りのない願い事だとしてもあまり興味がありません。
ただし、願うべきではない願い事の種類というのがあると思っています。
完全に他力になってしまうのは絶対によくないと思います。「恋人ができますように」などと言っても、叶うわけがありません。せめて「いい人と知り合えますように」でしょうね。あとはもし好きな人が思いつくのであれば、具体的に「○○さんとつきあえますように」というのもありだと思います。
恋人が欲しい。そのような話はよく聞きます。しかし出会いがなければ恋愛に発展することもありません。だからゴールをいきなり要求するのではなくて、その手前の段階こそ、切実に願うべきなのです。そしてそこから先は、さすがに努力しましょう。
具体的に好きな人が思い浮かぶ場合は難しいのは事実です。しかしまあ友人関係であるならば、あとは運を天に任せて告白などするしかないでしょうから、それで玉砕するなら仕方の無いことです。僕だったら「○○さんに告白するのでうまくいきますように」というお願いをすると思います。
あとは事後のことを無かったことにするようなお願いもダメだと思っています。例えば「落とし物がみつかりますように」というように、落としたことを無かったことにするようなお願い。病気が治るようにというタイプのお願いもこれでしょうか。
なぜこれが違うと考えるのか、それはお願い事がネガティブな要素を含むからです。
願い事は、それが叶えばポジティブな要素を持つべきだと思います。だから落とし物が見つかるようにという願いの前に、「落とし物をしないように」そのように願うべきだったのです。また「病気をしないように」事前にそのようにお願いをするべきです。
上記に関連して、ネガティブなお願いは絶対にダメです。「○○さんが不幸になるように」という種類のもの。もちろんどうしてもそういう気持ちを完全に捨てるのは難しいと思います。しかしそこはぐっとこらえて、比較となる人がいて、その人と比べたいのであれば、「○○さんよりも幸せになれますように」という願いをするべきです。すると、これは相対的な物なので、相手が今よりも不幸になる事によって、自分の方が相対的に幸せの位置につく場合と、もちろん自身がすごく幸せになって、相手よりもうまくいく可能性があります。
僕は本来あるべき願い事の姿としては、「曖昧」「ポジティブ」「感謝」につきると思います。
曖昧というのは、非常に重要です。叶うか叶わないか分からないのであれば、叶う可能性のある願い事の方が良いのです。「3億円欲しい」そう願ってそれが手に入らなければ、叶わなかったと一言で言い切ってしまうのはとても残酷なことだと思います。それだったら給料が上がりますように。同じ金銭でも、これならずっと叶う可能性が高まります。時給にしても月給にしても、黙っていても少しぐらいは増えますよね?
健康で・・・という願いも素晴らしい願い事の一つだと思います。この願い事が素晴らしいのは、100%叶うと言うことです。風邪を引いて寝込んだとしましょう。「この程度で済んだ」そう思えば良いのです。もしお参りしていなかったら、もっとひどいことになっていたかも知れない。だからこの程度で済んでよかった。と。そうすれば、絶対にこの願いは叶うのです。
願い事は具体的な方がいいと思います。しかし曖昧な方が良いのです。「幸せな1年で・・」という願いは、叶うでしょうが、実感も持ちにくいでしょう。だから具体的で曖昧。それが重要です。
最後に感謝です。これもまたとても重要な事です。僕はもうずっと何年間もお参りをしているので、かならず翌年のことを振り返って感謝をしています。「おかげさまで去年は1年間楽しく過ごすことができました。」と。感謝に意味があるわけではありませんが、これも叶える側の事を考えてのことです。当たり前のように願い事ばかりを言われるよりは、感謝から始まって願い事を言った方が、精神的にもだいぶラクでしょう。
みなさんもぜひ意識してみてください。
2013/01/09 日常

今年もどうぞよろしくお願いいたします。
思い返すと、ブログを書いてからというよりは、ブログを書く前からほとんどの事に変化がありません。僕は相変わらずですし、彼も相変わらずです。もちろん個別にいくつかの小さな変化、例えば相手はそろそろ就職ですし。というのはありましたが、大きな部分においては本当に変化のない時期にさしかかりました。
もちろん僕自身は、プライベートが落ち着くのはとてもうれしい事だと思っています。この状態がなるべく長く維持されるようにと、毎年年初には強く願っているのです。
さて、昨年末の話しですが、カミングアウトをしてきました。
もともと言う予定だった人たちには、それですべて完了です。あとは言うタイミングや状況を見ながら伝える事はあり得ますが、特に僕の方から時間を設けて・・・という事には鳴らないのではないかと考えています。
特にそのことに意味があるわけではありませんが、少なくとも伝えたみなは、そこそこの年月を僕と友人関係として継続しているので、伝える意味は少なからずあると思っています。
毎回のことではありますが、「もっと早く言えば良いのに」と。僕は今まで伝えた人たちはすべて、偏見などはないんだからとか、友人関係には関係が無いんだから、という意図を含みながら、もっと早く言えばよかったのに、と言われる事ばかりでした。
※唯一妹たちだけはそのような反応でなかったので、何らかしら思うところがあるのかもしれません。
僕はそういった、早く言えば良いのにと言う意見については、非常によく分かります。僕自身が何らかのカミングアウトを受けるような事があれば、その事象が発生してからの時間が経過しているのであれば、もっと早くという気持ちがないわけではありません。
しかしそれは前回の関連記事にも書いたとおり、改めて伝える必要がないかもしれない。そのように考えているのです。だから今回も、なかなか難しいんだよねー。カレーが好きです!とか嫌いです!ってわざわざ表現しないじゃん?っていう。
今回も非常にうまくいったと思います。が、まだ彼には会っていません。ということで、次は機会を設けて紹介でもできれば一番いいですね。
2012/11/29 日常

こんにちは。だいぶ寒くなってきました。僕は寒いのは苦手なので、これから本格的に寒くなってくるのがとても怖いです。すでに部屋は、すごく寒くて、家にいることに苦痛を感じます。なぜか部屋は外よりも寒い事・寒く感じる事が多く、そういうものなのでしょうか。
暖房器具は光熱費の事もあって、なるべく節約したいですしね。難しいところです。
またまた友人にカミングアウトをしてきました。もうパターンのようになってしまい、目新しさはありません。
当初ここの記事にも書いていたように、何人か伝えたいと思っている人はいました。そして後1名を残して予定通り完了しそうです。
今回伝えたのは、大学時代からの友人でした。定期的に飲みにいっている僕たちは、毎回くだらない話をしています。それは仕事のことであったり、恋愛のことだったり、旅行だったり。。。。同級生なので、同じ年齢ですし、巷の30代がする平均的な会話です。
同じ大学で勉強をしていた頃、友人がどのような大人になるのか、想像もできませんでした。そしてそれは僕も同じです。そもそも僕は元々の志望だったIT関係の仕事に就けるのかあやしかったですし、友人はそもそもどのような仕事に就くのかも僕は知りませんでした。
就職が決まってから、友人は僕と同じIT関係の職に就くという話を聞きました。それを知ってから、今まで以上に会う回数が増えたような気がします。
同じ業界で働く物として、やっぱり負けたくないという気持ちなども強くありました。しかし幸いなことに、働く分野が違うためそこまで強く競う気持ちも起きませんでしたし、僕は「負けた」という実感をしなくて住んだのでは無いかと思っています。ちなみに友人は開発関係の仕事。僕はネットワーク関係やサポートの仕事がメインです。
定期的に会っているため、今回もそのような事で会いました。
お酒を飲んでいる中で、「そういえば恋人の話なんだけど」という流れ。「実は付き合ってるのは男なんだよね」と僕は伝えました。
相手はまったくリアクションをせずに、「そうなんだ別にもっと早く言ってくれればよかったのに」と言われました。
話を聞くと、すでに職場にゲイの友人がいるらしく、ナヨナヨしてる感じらしいのですが、普通に仕事をしているという事でした。だから別に何とも思わないよ。と。
僕としては、あまり恋愛の対象を気にしたことがないから、改めて伝えたいっていう動機が薄いという話をしました。それこそ、会うたびに毎回恋愛の話とか、旅行の話をしています。友人は一人旅。僕は二人で。そういう話をするときに、男女のそれを置き換えて話をするような時は、ちょっと面倒に感じます。
例えば温泉とか、一緒にはいるっていうのは、男女であれば混浴が前提になります。もしくは家族風呂でしょうか。
僕たちの場合は、そういった事を気にしなくても、一緒にはいることになるので、微妙なニュアンスの違いがでてきます。
そういうのが面倒だから、もう伝えてしまった方が早いし楽だという感じです。