過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

  2011/08/25    考え(ゲイ関連)

「かわいい子が好き」と、幾度となく書いている。そしてこのかわいい子というのには、パターンが存在している。たとえば中性的だったり、たとえば体毛だったり、たとえば声の高さだったり身長だったり。そのうちの一つがコーヒーのこと。

かわいい=中性的=ネコ ぐらいの想像は簡単にできると思う。もちろん短絡的なことは分かっているけど、僕のタイプの場合のなんとなくそういう傾向というか。ちなみに、ゲイは残念なことに喫煙者は比較的多い(最近はそれでも減ってきてるけど)、あと、身長はやっぱり高い子も多い。

コーヒーが飲めないというのはよく聞く。カフェオレのような、コーヒー牛乳のような甘い、苦くないものであれば、当然問題無いことが多い。だけど純粋なコーヒーというのは、苦手だという子が多い。

僕自身はこれが不思議でもある。だって仕事とかでコーヒーが飲めないっていう人は、男性の場合であればあまり見たことが無い。まあ確かにそんなにコーヒーを一緒に飲む場面というのも多くないし、飲みたくないから口をつけないのか、嫌いだから口をつけないのか判断もつきにくい。

ゲイの出会いは、喫茶店から始まることも多い。ちなみにもう一つは、ベッドの上から始まる場合かな??
スターバックスだったりの喫茶店を利用するとき、何を飲むのか。僕はまったくその手のことが詳しくないので、だいたいはホット・ブレンド・アイスコーヒーといった、なんだかすごくオジサンの注文をする。
しかし人によっては、コーヒーが飲めない場合でも、何とかというとても甘い、生クリームたっぷりのコーヒーテイスト飲料を注文している。

僕にとっては不思議でもあるし、かわいらしさを感じるところでもある。喫茶店での注文ごときにかわいらしさを感じられても困ることだとは重々承知の上でやっぱり、「苦いからコーヒーやだー」と言っているのを見るのは萌えでもある。
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  2011/08/24    考え(自分関連)

何かのタイミングで、「昔遊んでたでしょ?」と聞かれることがある。なにもそれはこちらの世界に限らず、プライベートでも言われることがある。「遊んでそう」と。

僕のどのような部分を見てそのように言われるのか全然よくわからない。

まず「遊んでいた」という部分はいい意味なのか悪い意味なのか。よくありがちな、ナンパな感じを指しているのだろうか。もしくは積極的にいろいろな人とコミュニケーションを取りながら楽しく過ごしていることを指すのか。

もし僕自身に、そのように楽しく過ごしていた自覚が少しでもあるならば、遊んでいたといわれて、何らかの反応を返せると思う。しかし僕自身はそのような自覚が全くなく、遊んでいたと言われると、どのように返答していいのか困ってしまうのである。

たとえばいろいろな人と知り合って、場合によっては性的な関係を結ぶことをゴールとして積極的に交流していたのか。もちろんそんなことは無かった。もともと性格的にそんなことは(したいと思っても)できない。それは容姿も関係あるし、性格も関係ある。だいたい僕はコミュニケーションが苦手だし。

おそらく遊んでいるような印象を与えてしまうのは、僕の会話の方法にあるのだと思う。僕は会話の内容は本当にいい加減である。言ったそばからそれを忘れるし、言われたそばからそれを忘れる。話題も転々とするし。
どんな話を聞いてもそれなりに反応できるので、ある程度の時間であれば、なんの問題も無くその時間を(場合によっては楽しく)過ごすことができる。

遊んでいる人に共通するような何かがあるのか。僕には正直分からない。だけど、少なくとも遊んでいる人は性的な方向性を最終的なゴールにするのだと思う。
それと僕を比べた場合、確かに僕の場合はゴールに性的なことは無いかもしれない(あるかもしれない)。でもそれ以外の部分においては、遊んでいる人と似ているところもあるのかもしれない。(もちろん僕にはよく分かりませんが)

コミュニケーションが上手という意味で、遊んでいるのだろうという印象を持たれるのであれば、それはうれしいことでもある。僕が苦手だと考えているコミュニケーションが評価されているわけだし。
しかしそうじゃなくて、なんでもとにかく性的なところに結びつけようとする、どん欲な姿勢が遊んでいるという評価につながっているのだとしたら、それはもう心外だし、事実とは大きく異なっている。
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  2011/08/23    考え(ゲイ関連)

ノンケ(同性愛じゃない人)がスキという人が一部いる。だけど大半のゲイにとってノンケは特に意識されない存在ではないかと考えている。

確かにスキがあればボディタッチをしたりだとか、着替えを見ることができて喜んだりはあるかもしれない。それは別にノンケに限ったことではなく、ゲイである以上、同性のそういう姿にはついつい目がいってしまうものである。

しかしノンケということでブランド化しているようなことが一部あり、それはおそらくそれぞれの立場からくる意識の違いではないかと考えている。ゲイにとって、セックスができることは、非常に重要である。隙あらば狙っていると言っても過言ではない。

そこでノンケという存在は、基本的には性的な関係になることは非常に難しい。しかしだからこそ、とりあえず試してみたいという気持ちが存在するのではないかと思う。それがノンケがモテるという話につながるような気がする。

実際の恋愛をするとしたら、ノンケとの恋愛は非常に困難であることが想像できる。まずは相手が付き合ってくれなくちゃいけないし(それはすごく困難?)またもしつきあえたとしても、その先のこともたくさんある。

ノンケをスキになるということは、そういう数々の困難を乗り越えなければならないし、色々と難しい部分がある。
それはゲイが女性から告白されて、すごくいい子だったとしても、そうやって付き合う恋愛が幸せなのか。っていう問題と同一だと思う。セクシャリティというのは、やはり非常にデリケートなこと。

もちろん相手のセクシャリティは関係なくスキになることもあるし、それを伝えたら案外うまく行くこともある(実際そういうカップルもいるし)。だから全部が全部っていうわけじゃないんだろうけど、ノンケという存在はやっぱりゲイにとって、なんとも難しい存在だと思う。
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  2011/08/22    考え(ゲイ関連)

このブログを書き始めてから、今までのこと、、、過去の経験からの話をずっと書いてきた。
そのため、これからのことについては、あまり話題にすることが無かったし、また書きたいと思うようなことも非常に少なかった。

さらに、まだ書き始めて1年も過ぎていない状態なので、記事を書いたときと現在の僕の考えに違いが生じるようなことはほとんど無かった。

しかし最近になってカミングアウトについて考えるようになった。そしていざ具体的に考えるようになって、元々持っていた考えとは大きく考えが変わるだろうという気持ちが芽生えるようになったためいくつか書き留めておきたいと思う。

カミングアウトについて、今までは基本的にはすればいいと考えていた。それは少し前にも書いたように対象をいくつかに分けて、それぞれ僕だったらどのように行動するのか。ということであった。
※参照
カミングアウトについて 3
カミングアウトについて 2
カミングアウトについて

しかしカミングアウトについて、その分類だけではどうにも難しい場合があるのではないかと考えるようになった。

– – –

誰しもが複数のコミュニティに所属していると思う。家族・身内、地元の友人、会社、取引先、友人、、、ひょっとしたらさらにその中でも複数に細分化されているかもしれない。

たとえばブログで知り合った人とコミュニティが形成され、Twitterで知り合った人とのコミュニティは別になるかもしれない。さらに細かくなって、その中でもたとえば僕が恋人がいると言うことを知っているグループと知らないグループに分かれるかもしれない。

僕自身は多人数との交流が苦手と言うこともあって、コミュニティやグループが細かい。たとえば共通の友人A,B,僕といれば、Aと僕のグループ、Bと僕のグループ、、、という感じ。このような状態に特に意味は無いのだが、僕はやっぱり少人数との交流の方がラクに感じるので、Aと遊び、Bと遊ぶ。決してAとBと僕の3人ではない。

しかしグループやコミュニティが細分化されると問題が生じる。一番大きいのは日程的なこと。みんなで遊べば1回で終わるのに、分割されるので2回分時間を作らなければならない。

またグループやコミュニティによって立っている前提が違う場合、会話のネタにも困ることがある。僕の場合、Twitterにはブログのことを書いているが、もし書いていなかった場合、「あれブログ書いてたの?」ってなるだろうし、ブログにTwitterを載せていなければ「あれTwitterやってたの?」と。
ブログの読者の方からすれば、Twitterは「ふーん」っていう感じかもしれないし、その逆もまたしかりである。

こうしてコミュニティが細分化されてしまうと、時間もかかるし、何をしゃべってもよくて、何をしゃべってはいけないのか、非常に難しいことになってしまう。

そう。だから僕はコミュニティをなるべく統一させたいと考えている。それは最近になって特に強く感じるようになった。昔から一緒に遊んでいる仲のいい友人もゲイコミュニティの中に混ざってもいいんじゃないかと思うし、お酒を飲むときに一緒になればまたおもしろい会話も出てくるのではないかという期待もある。

もともと35歳ぐらいが、なんとなくの目安で、僕のことだからそういう時期は必ず早まるから、実際には33歳ぐらいかな・・・と思っていた。だけど、なんだかもう伝えてしまってもいいような気がしている。といっても伝えようと思っているのは今のところは2人だけなんだけどね。

ということで、この2名に関してはそう遠くないタイミングで伝えてしまおうかと考えています。また動きがあれば、このブログで紹介したいと思います。
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  2011/08/21    日常

すいません。今日はお休みです。
軽く出かけるつもりが、思いの外帰ってくるのが遅くなってしまいました。

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※画像は先日行った福生。しばらく福生シリーズの画像が続いています。

  2011/08/20    フェチ/好み/タイプ

もう慣れてしまったので何とも思わなくなった。だけど、自分の性的な好みは非常に微妙なのではないかと思う時がある。

ゲイの場合、ネコが多い。これは気持ちは分かる。タチとして積極的なプレイを望むのであれば、それは女性を相手にしているのと似ている部分がある。
だから女性(ビアン)の場合はタチが多い。男女の恋愛においては、男性が攻める側であれば、女性が受ける側というある種の見方があると思う。これに乗っ取るのであれば、ゲイにはネコが多くてビアンにはタチが多いというのは何となく分からない話でも無い。

もちろん性的なスタイルだけがすべてではないのは前提だが、少なくとも方向性としては、男性がタチをやりたいのであれば、それは女性と恋愛をしているのと、その部分においてはあまり変わらない。

以上が性的なスタイルに関する話。

かわいい子がタイプ。そのように言うとゲイの世界では比較的珍しい部類に入るようである。たいていは、いわゆる体育会系のような、ヒゲ・筋肉などがモテの要素であったりする。いわゆる男っぽいと表現される。

もちろんこの気持ちをも分かる。男性が好きというときに、代替性があるのは変な話だと思う。つまりかわいい子がいいという場合、それは女性に向くことが可能なのではないかと考えてしまう。女性らしさが全くない人、、、男っぽい人、、、を好きになるのは、ゲイとしてはある意味普通だとそういう意味でも思う。

しかし当然男女という違いがあるので、ゲイである場合にはかわいいがタイプであることは別に不自然ではない。

次にバイということがある。上記のような場合、かわいい男の子とかわいい女の子の境目は非常に曖昧なのである。であるならば、いわゆる常識的に女の子にしておけばいいじゃん。っていう気持ちもある。

だから僕はタチということで、いわゆる男女の恋愛が攻め・ウケという立場では男女の恋愛ができる。かわいい子が好きということで、女性でもいいのではないかということ、、の両方が常に意識される。
もちろん男性の裸、、、それはかわいい子、、、で大興奮するのも事実だし、女性の裸でも興奮する。だから僕はおそらく間違い無く男性も女性も興奮するバイセクシャルだと思う。
そうなんだけど、やっぱり微妙な存在だなぁという気持ちをぬぐうことができないのである。

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  2011/08/19    微エロ

ゲイのセックスはある意味で単調になりやすい。というのも、やはり前立腺の存在が大きいのではないかと僕は思う。

入れられることについて、痛い・痛くないということはあるとしても、それ以外にも、当然気持ちいい・気持ちよくないということがある。そしてこの気持ちよさの要素としては、やはり前立腺が重要なようである。(僕自身はそういうことが分かりません)

バックの姿勢で行為をしても、あまり気持ちよくない場合が多いという話を聞く。バックが例外的に気持ちいいと思えるのは、おそらく出し入れの深さをコントロールしやすいからではないか。

だから一般的な姿勢は正常位に落ち着く。これが好きだという人は多いと思うし、気持ちよさも一番のようである。もちろん直接的なこと以外にも、顔が向き合っているとか身体の密着とか別の要素ももちろんある。

最初の頃に覚えた気持ちいい姿勢というのはクセになる。という考えを僕は持っている。たとえば一人で処理するときにも、座ってする人や、立ってする人、横になってする人などいろいろなパターンがある。このとき、もちろんそれぞれ好きな姿勢というのはあると思うが、やっぱり最初の姿勢というのは、その後を決定するとても大きな要素であるように考えている。

そしてそれは、一人で処理する以外にも、恋人との行為でも同じだと思う。最初の頃は好奇心もあって、いろいろな姿勢を試すのではないか。少なくとも僕自身はいろいろな体位を試した記憶がある。
そしてそれは相手の性癖なのかもしれないし、体格差なのかもしれない。だけどなぜか最初の頃立ちバックが多かったように思う。
おそらく考えられる理由はいくつかあって、自由にできる場所が無いというのは大きかった。または身長差だろうか。

若干性的な話になってしまうのでここからは注意してください。

自由にできる場所が無いというのは、若いときに乗り越えることのできない数少ない障壁の一つである。じゃあどうなるのか。ホテルという選択肢もあるだろうが、やっぱりここはトイレなどの限定的な場所になってしまうことがある。当然寝てすることなどは不可能である。

次に最初の頃、相手はとにかく舐めるのが大好きであった。僕自身のサイズが気に入ったのかもしれないし、舐める(奉仕する)自分に興奮していたのかもしれない。真相は分からないが、とにかくそうだった。そのとき僕は立った状態で、相手がしゃがんでくわえる。場合によっては膝をつく感じで。

こういうことが初期の頃繰り返されて、僕は正常位などの横になった状態でするよりも立ってする方が興奮し、気持ちいいと感じていた。このころは自分でするときも立ってすることが多かった。

今となっては、変化の一つぐらいにしか考えていないが、当時はなぜか大好きだった体位なのです。
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  2011/08/19    微エロ

ゲイのセックスはある意味で単調になりやすい。というのも、やはり前立腺の存在が大きいのではないかと僕は思う。

入れられることについて、痛い・痛くないということはあるとしても、それ以外にも、当然気持ちいい・気持ちよくないということがある。そしてこの気持ちよさの要素としては、やはり前立腺が重要なようである。(僕自身はそういうことが分かりません)

バックの姿勢で行為をしても、あまり気持ちよくない場合が多いという話を聞く。バックが例外的に気持ちいいと思えるのは、おそらく出し入れの深さをコントロールしやすいからではないか。

だから一般的な姿勢は正常位に落ち着く。これが好きだという人は多いと思うし、気持ちよさも一番のようである。もちろん直接的なこと以外にも、顔が向き合っているとか身体の密着とか別の要素ももちろんある。

最初の頃に覚えた気持ちいい姿勢というのはクセになる。という考えを僕は持っている。たとえば一人で処理するときにも、座ってする人や、立ってする人、横になってする人などいろいろなパターンがある。このとき、もちろんそれぞれ好きな姿勢というのはあると思うが、やっぱり最初の姿勢というのは、その後を決定するとても大きな要素であるように考えている。

そしてそれは、一人で処理する以外にも、恋人との行為でも同じだと思う。最初の頃は好奇心もあって、いろいろな姿勢を試すのではないか。少なくとも僕自身はいろいろな体位を試した記憶がある。
そしてそれは相手の性癖なのかもしれないし、体格差なのかもしれない。だけどなぜか最初の頃立ちバックが多かったように思う。
おそらく考えられる理由はいくつかあって、自由にできる場所が無いというのは大きかった。または身長差だろうか。

若干性的な話になってしまうのでここからは注意してください。

自由にできる場所が無いというのは、若いときに乗り越えることのできない数少ない障壁の一つである。じゃあどうなるのか。ホテルという選択肢もあるだろうが、やっぱりここはトイレなどの限定的な場所になってしまうことがある。当然寝てすることなどは不可能である。

次に最初の頃、相手はとにかく舐めるのが大好きであった。僕自身のサイズが気に入ったのかもしれないし、舐める(奉仕する)自分に興奮していたのかもしれない。真相は分からないが、とにかくそうだった。そのとき僕は立った状態で、相手がしゃがんでくわえる。場合によっては膝をつく感じで。

こういうことが初期の頃繰り返されて、僕は正常位などの横になった状態でするよりも立ってする方が興奮し、気持ちいいと感じていた。このころは自分でするときも立ってすることが多かった。

今となっては、変化の一つぐらいにしか考えていないが、当時はなぜか大好きだった体位なのです。
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  2011/08/18    微エロ

僕は恥ずかしい行為が大嫌いだという話をかつて書いたことがあると思う。まず代表的なのが見られること。見られて興奮するという人はうらやましい気持ちもあるが、やっぱり理解はできない。

同様に言葉責めも嫌いだ。ちなみにこれは、Mとしての難しい部分でもあるが、僕の場合は言葉責めをするのも、されるのも嫌い。

ただし重要なのは、決してその最中に斜に構えているわけではないということ。プレイを気持ちよくする要素で、テクニックももちろん重要だけど、ちゃんと興奮して、他のことを考えられないほど、それに没頭し、ある意味では理性を吹き飛ばした方がずっとずっと気持ちいい。
だから斜に構えた状態で、「そんな馬鹿なこと言えない」というわけでは決してないのである。

ただ難しい部分もある。たとえば言われる方だった時、僕自身は興奮しないから、すごく恥ずかしい感じがある。その恥ずかしがっている部分を見てそれがいいと言われるのであれば、それは確かにあるのかもしれない。恥ずかしがっているシチュエーションへの興奮は分からないでもない。

しかし言う方の時。まずは僕自身に抵抗があるせいで何を言っていいのか思いつかない。「ほらもうこんなになってるよ」などと言ったときに、相手のどのような仕草を見て興奮すればいいのだろうか。恥ずかしがっているところ?かわいい回答?
確かに今までで、言葉責めされるのが好きだという人は確かにいた。で、どういうのがいいのか聞いたことがある。そうすると、やっぱりそいういうことを言われることに興奮するらしいのである。(だから反応を楽しむというよりも、言葉を浴びせるだけ)

もちろん性癖はそれぞれなので、許容できる範囲であれば、最大限協力したいし、一緒に気持ちよくなりたい。だけどやっぱり言葉責めについては、どうも僕はそのテクニックの習得ができないのではないかと考えているのです。

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  2011/08/17    考え(自分関連)

僕の記事は青臭い理論展開が多いと思います。特にこのブログでは20代の気持ちを残しておきたいので、青臭かったとしても気にしていません。結論が出しにくいことでも一定の結論に持っていくのもその一つです。
そのほうが、将来読み返したときにきっと感じるものがあるはずだと信じています。

さてこのブログで、読者の方から「昔の自分みたい。かつての自分を見ているようだ」というコメントを頂いたことがありました。そして僕はこのコメントがとてもうれしいのです。
そのようなコメントをする方は、少なくとも「(経験の浅かった)昔の自分のようだ」というニュアンスを含めているのだと考えています。それは何も否定的に僕が考えているのではありません。(残念なことに表面しか読んでいただけないと、このように書くとまるで否定しているように受け取られてしまうのですが・・)

ぜひ僕はその方の、「経験を積んだ今の考え」を教えてほしいと考えています。
よく年上の人と話をすると、筋道を教えてくれたり、アドバイスをくれたりするのですが、そう考えるに至った理由を聞くと、大抵の場合それは意味のない言葉で説明されることこがほとんどです。「その時になればわかる」とか、そのような表現をされることが多くあります。

色々な経験を積んだ結果として次のフィールドの考えに昇華されることはよくあります。
例えば料理は顕著じゃないでしょうか。

料理初心者やたまにしか作らない場合、手抜きはしにくいと思います。しかしベテランになれば効果的な手抜きを知っています。だから料理の話をすると、手間のかけ方一つを聞いただけで、その人がベテランなのかそうじゃないのかわかると思います。これを僕は昇華といいたいのです。もちろん手の抜き方はそれぞれあると思います。僕自身がその手の抜き方をマネしないかもしれません。しかしフィールドが一歩上がった人のそういう考え方はとても参考になるのは事実です。

だからこそ僕はそういう、かつての自分のようだという意見を頂ける場合には、「何が」という具体的な表現もセットされていると、とても勉強になるなぁと考えています。
特に、正しい方向に進む為の寄り道であれば、それはすばらしい事だと思います。それこそかつての僕もそのような寄り道をしたと思いますし、また色々な人と話をすると、迷いや葛藤とともに、決して直線ではないにしても、しっかりと前に進んでいるように思えることは良くあります。寄り道自体を否定するものではありません。しかし大きな迂回になりそうなとき、先人や経験者は体験談を語ることによって、大きな迂回を避けられるのではないかと。

逆に、僕が誰かに何かをアドバイスするとき、若干極端であっても、断定的な表現をよく行います。それは「僕の場合は」という前提の元に、意見を述べるからです。そしてそれは、どことなく、ブログのスタンスにも似ているかもしれません。
ただし、僕の悪いところは(そして特に口頭での場合は)相手の意見を否定的にとらえるところだと思います。ブログでは考えをまとめてから書くので、否定的に考えることはほとんどありませんが、その場でだけだと、どうしても理解していない最初は否定的に考えてしまうことがよくあります。
こういうところは直していかなければならない部分だと考えています。
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