過去の日常

ゲイ・バイとして過去のまとめ。30代の悩み。考え。日記。30代のカップルです。

  2011/10/10    日常

ゲイタンカフェのこと。後で(明日)書きます。
たくさん考えることがありました。

んでは。

  2011/10/09    日常

■1:00 更新
今日はケイトさん主催によるゲイタンバザールカフェが行われます。
今までゲイタンとしてのイベントをいくつか行ってきましたが、毎回多数の方のご参加をいただいています。

僕も今日は早い時間にお伺いする予定です。
ちなみに連休なので、カフェ参加後は少し遠出をするかもしれません。今回は伊豆??・

僕のバーのときもそうでしたが、手作り感のあるイベントはとてもおもしろいですね。もちろん準備は大変ですが、ケイトさんやゲン君をはじめ、色々な方々が協力し、準備しているようなので、とても楽しみです。

ちなみにブログを書いている いち さんという方が、ゲイタンを様々な方面から応援してくれています。 [参考]
いちさんは、G男子会を不定期に開催されているので、今度一緒にゲイタンのコラボ企画やりたいですね。
※一番近いのでは 11/3 に行われるようです。 [参考]

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  2011/10/08    ブログ

今日は一つのマンガを紹介しようと思う。
このブログで紹介するのでゲイに関連する。というよりも、ゲイマンガである。

僕はゲイゲイしい雑誌はあまり好きではない。ゲイ雑誌はアダルト雑誌のようでもあるし、コラムの連載されている月刊誌でもある。純粋な記事のみの月刊誌であればいいのかもしれないが、エロも含まれているので、なかなか自分で買うには勇気がいる。

また、そこに連載されているコラムやマンガについても、性的な描写が多く、それはもちろん需要があるし、僕も好きなので、大好きなので別にいいことだと思う。しかしやはりそれだけでは、どうも買おうという気持ちが乗らないのも事実である。

そんな中、このアグリっ娘だけは、ひときわ輝いている。内容はちょっと性的なこともあるけど、基本的にはブスとイケメンの哀愁ををおもしろおかしく描いたギャグマンガである。

主人公のアヅサは、ブスである。鼻もとにでっかいほくろがあり、それが強烈なキャラを印象づけている。そしておそらく作者は意図的だと思うが、このほくろの位置はつねに左右を行き来している。ギャグマンガなので、その辺は別にしっかりしている必要は無いと思う。カット割りに応じて、アヅサがもっともブサイクになるように、このほくろを非常にうまく利用している。
アヅサは、ブスだけど性格がとてもいい。美容師としても大変に評価されているし、しっかりした考え方で、人脈も広い。

そして2回目からすでに強烈なキャラが出てきた。テルミである。

テルミもブスである。そしてテルミは性格も悪い。平気で裏切るし、仲間を売る。毎回のパターンとして、アヅサが少し幸せになりそうなシチュエーションがあって、テルミが嫉妬。テルミのことを考えてアヅサが引く。すると、テルミがアヅサを悪者にして、自分がもてるように必死になる。そしてアヅサからの鉄槌でオチとなる。
このパターンは、もはや鉄板である。

1話目は非常におとなしい、ブスの哀愁の漂うマンガであった。しかし2話目からは、突然話が大きく進んだ。必殺技が出てくるし、個々人のキャラが非常に強くなった。そして暴力的な描写も「いい意味」でとてもおもしろい。なかなかコンクリートブロックで頭をかち割ることなんて無いし、焼酎のビンでバーのマスターが、お客さんの頭を殴るようなことも、ましてやそれを、おもしろいと思わせるように描くことは非常に難しい。しかしもはやそれは当然のこととして、まるで自分もその場にいれば、同じことをしてしまうのではないかと思えるほどに、スムーズに暴力を受け入れられる。

インド式計算術については、じゃっかんの疑問があるが、今にこれはきっと他の方式に置き換わるのではないか。

このマンガは、今でもまだバディ?で連載が続いているようである。たしかもうじき2巻目がでるみたい。

僕はマンガを買うことはあまりなく、買ってまでして読みたいマンガというのは、非常に少ないのではないかと思っている。ましてや、そこにゲイの要素が入っていたら、もはや皆無であろう。

しかしこのアグリっ娘については、十分に買うだけの価値があり、またそれは本の価格以上の幸福感を、僕に(読み手)に与えてくれる。

※ちなみに1巻には、読み切りマンガも掲載されています。その話も基本的にはお笑いの要素というか、じじいとかデブ的なブサイクとか、そういうのが描かれていて、それもまたおもしろい。


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※10/9(日) ゲイタンバザールカフェ を行います。
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  2011/10/07    昔の話

僕はかつて毎日のように飲んでいた。本当に毎日のように飲んでいて、少なくて週に3回。多ければ5日とか6日とか居酒屋で飲んでいた。。

性的な意味ではなく、色々な人との交流や出会いがとても重要だとそのときは考えていた。特に大学の3年生を過ぎたあたり、就職が決まったぐらいからそのようになった。もちろんこのときは、好奇心も時間も体力も有り余っていたのである。しかしお金だけは苦労した。

僕にとって幸いだったのは、このときの交流はほとんどゲイとは関係が無かったことである。もしこのときに、ゲイとしての遊び方を覚えていたとしたら、、、僕は今とは違う人生を歩んでいたかもしれない。

このときは、学校やバイトやその関係から広がる友人たちとばかり出歩いていた。このときに知り合った多くの人たちの意見や考えは、僕にとってても重要なことばかりであった。

夜に出歩くことが増えると、必然的に週末は絶対に空かないようになってしまった。必ず何らかの予定が入ってしまうのである。だからこのとき、僕は優先的に木曜日と水曜日から予定を入れていた。そうすることによって、なるべく多くの人との交流が可能になった。水曜日から予定が埋まれば、うまくいけば水~日までたっぷりと時間を取ることができる。

かつて「水曜日からよく飲むことができるね」って言われたことがある。確かに金曜日だけ飲むことができれば翌日のことも考えなくていいから一番楽しい。しかしそれだけという訳にもいかないので、次点である木曜日にも予定を入れるのである。そしてそれも埋まってしまった場合には水曜・・・と。

だから僕は、木曜は第二の週末と呼ぶようにした。もはや気持ちの中では木曜日から週末なのである。
今となっては、飲みに行くことは滅多に無い。だからあまり木曜日が第二の週末だという意識を持つ必要もなくなった。
一方で、金曜日に飲むのは、店が混むからあまり好きじゃない。本当は月曜日とかに「軽く」飲むのが最高だと思っている。
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  2011/10/06    昔の話

僕の交流の中では、社会人と学生が多い。社会人は社会人の悩み、学生は学生の悩みというのがそれぞれある。
僕も学生の頃は、ありがちで一生を大きく左右するような不安を目前に控え、すごく色々なことに悩んだ。もちろんそれは就職のことだったり、恋愛だったり、学校だったり、友人だったり、、、わざわざ宣言するまでもなく、たくさん悩んだ。

そして当然今でも社会人としての悩み。加齢のことだったり仕事だったり将来だったり、健康だったり。おそらくこれも、社会人としてのというよりも30代としての標準的な悩みなんだと思う。

夢というのがあるだろうか。僕は昔も今も、あまり大きな夢というのを持ったことが無い。現在の延長線で達成したいこと、、それを夢というのなら夢かもしれない。ただそれを自分では目標という言葉の方がしっくりくるように思う。

そして、夢、、、目標を振り返ったとき、僕は達成したのではないかと思っている。当時学生の頃には、パソコン関係の職に就きたいという目標があって、実際にそれは達成することができた。
もちろん当時はパソコン関係の職業の中でも、”開発・プログラマー” をするだろうと漠然と思っていたし、パソコンを利用する職業なら、普通の事務職、例えば経理とか、、になることも可能性としてはあり得る話でもあった。

しかし実際には、そのような僕自身の考えとは違い、結局はネットワーク系の仕事と、サポート関係の仕事をしている。しかしそれでも、描いていた具体的な仕事とは違うかもしれないが、自分がつきたいと思っていた仕事に就くことができた。

そこで、自分の考えていた夢が叶った先には何があるのだろうか。

目標であれば、それを通過点とすることは簡単である。それは現状への不満からそのように考えるかもしれないし、目標が達成されると、必ず次のより大きな目標へチャレンジしたくなるものである。

しかし夢だとしたら。夢が叶った先には何があるというのか。なるべくその状態を維持するという努力だけだろうか。
僕自身が夢を持ったことが無いので、それがいまいちよく分からない。夢と目標というのは同一視していいのかもしれないし、ひょっとしたら夢というのは、もっと巨視的な何かかもしれないから、常に叶うということがないのかもしれない。

僕自身は、常に目標を持っている。といっても、別に大きな目標ではない。「なるべく怒らないようにする」とか、「無駄遣いをしない」とか、ほんとにそんな簡単なこと。
あとは仕事と年齢は重要な相関があると考えているので、今後3年~5年ぐらいで自分が進むべき道についての、ざっくりとした目標を携えているぐらい。もちろんその計画・目標は、年齢が進むにつれて修正されることも多い。
今までの僕の場合、必ず区切りとなるような大きな出来事があるので、そのときに目標が大幅に修正されることになる。

しかしその目標に向かって走り続けるのは、なんだかとても疲れることのような気もしないでもない。ぎりぎり達成できるか分からない目標を掲げて、それが何とか達成できたとしても、またすぐに次の大きなさらにずっと先の目標が出てきてしまう。性格だから仕方が無いにしても、一生これを繰り返すのだろうか。今の僕には全く分からない。

ある程度の年齢になると、上という意味での目標を持つことをやめ、維持という目標に変わるのかもしれない。

ただ少なくとも、僕自身が考えていた学生の頃の夢・目標と、今の夢・目標とは大きく意味が異なると考えている。そしてそれは、さらなる将来になると、また今の僕とは違う意味を持つことになるのだろうか。とても気になるところでもある。
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  2011/10/05    微エロ

年齢とともに、性欲が落ちてきたという話はすでに書いたと思う。
個人差はあるにしても、まあこれは仕方が無いことだろう。

しかし何事でもそうであるように、かわりの考え方が出てくる。それが精神と肉体が一致させるということである。

イク。その一言は非常に簡単であり、今まで軽視してきた。より充実した1回という考えよりも、まずは数を多く。そのように考えていたのである。
男性がイクときというのは、非常にデリケートである。思いがけずイってしまう場合も当然あるし、イきたいという気持ちは非常に高いものの、実際には全然イカない場合だってある。

あるときは時間のリミットから、そろそろとりあえずイっておかないと迷惑になっちゃうかな。という気遣いの時さえある。

昔はとにかく数をこなせばよかった。だからたとえ1回の気持ちよさがたとえ少なかったとしても、それは次や、その次でカバーすればよかった。実際、リベンジする機会はふんだんにあると言ってもいいかもしれない。

しかし今ぐらいの年齢になってから、イクことができる回数に制限がでてきた。それはリベンジする機会が減るということもあると思うし、なにより最初に書いたように、性欲の低下でもある。一度イクと、復活に時間がかかるか、復活しない(できない)という、なんとも情けないことになってしまうのです。

そこでやはり、精神をしっかりと高ぶらせてから、ピークを迎えたいと考えるようになった。それにやっつけではイキにくいし。

そういうことを意識するようになって、1回当たりの気持ちよさというのは、昔に比べると上がったような気がする。
例えば昔だったら、ちょっと気持ちいいと、すぐに1回出しておくっていう発想につながった。口でやってもらっている間に、気持ちいいしこのままイケそうだからとりあえず一発出しとく。っていう感じ。

もちろんそれも悪くないし、それが若い時のプレイだった。だけど、今はそこで1回出すわけには行かない。それ以降が続かなくなってしまう。だからそこはぐっと我慢するのである。(あと全体的にイクのが遅くなるって言うこともあるので、意識しなければいつまでもイかないってことも可能だと思う)

そうやってイカないことで、最後にイクとき、十分以上に気持ちいいのである。それは最初の快楽ですぐに達しないことが理由の一つだと思うし、興奮を持続させたまま次のプレイに移ることが理由だと思う。

興奮が維持された状態から達するというのは、若い時のように興奮のピーク=イクだったときに比べて、充実という意味での満足感、快楽の大きさという意味での満足感は大きい。それはとても幸せなことでもある。

ただ、ただ、やっぱり回数をこなせないことが唯一にして最大の問題なのだ。
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  2011/10/04    考え(自分関連)

僕はおそらく誰よりも平凡な人生を歩んでいるのではないかと思う。そしてそのような自覚は、僕の今までを振り返ったときにとても重要なことだと考えている。

平凡ではない。それを望む人は多い。個性があって、その個性は他の誰とも違って、自分らしさ。そういう考えや、日々が変化に富み、刺激的なことが毎日のように起きる生活というのはある意味でとてもすばらしいことだと思う。

しかしやっぱり僕は平凡が一番だと考えているのである。

毎日朝起きて会社に行って、仕事をする。夜には帰宅し、彼と会ってご飯を食べたりお酒を飲む。それで一日はおしまい。時にはジムに行ったり、プールで泳いだり、ジョギングしたりするのがせいぜいの変化で、それ以外の大きな刺激は生じない。何か変化があるとしたら、せいぜい旅行ぐらい。

そのような生活が、完全に実現できているわけではないが、かなり近いことは実現できているように思う。

彼もそれは似ている。今のところは家と学校の繰り返し。ジムとプールは日課として毎日のように通っているみたい。彼は友人もほとんどいないので、ほぼこの生活リズムができあがっている。

もちろん僕の場合は、お酒の交流も多いのでなかなか仕事と家とを往復するわけには行かない。だいたい週に1日以上は友人と一緒に会ってごはんを食べたりお酒を飲んだりすることがある。(これでも減った方ですが・・)

しかし僕の考える平凡な生活というのは、おそらく究極的に閉鎖されているような気がする。それが実現できるかはまったく分からないが、友人関係はかなり限定的になり、お酒も限られた場所で楽しむ。
そこまで実現できれば、ほぼ理想だ。

まだ若かった頃、そして独り身だったとき、変化と刺激はとても重要であった。それは端的に表現すれば、恋愛の可能性があったから。もちろん変化や刺激のすべてが恋愛ではないが、自分が渇望していたのは、まさに恋愛の刺激と変化だった。

今となっては、仕事も恋愛も落ち着いているので、変化のない毎日を望んでいる。そして今の状態が、いつまでも、平凡のまま続くのがもっとも幸せなのではないかと考えている。
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  2011/10/03    考え(自分関連)

先日、突然1日お休みすることにしました。夏期休暇を取得するようにという会社からのアナウンスがあって、別に休まなくてもいいなー。なんて結構本気で思っていたのです。
だからぎりぎりまで、本気で休むことは考えていませんでした。

しかしその週は全体的に週の前半に仕事が集中しており、週末はそんなに忙しくならなかったのです。これは結構現実的になるかも。ということで、それとなくどうやって休日を過ごすか、考えるようになったのです。それが先週の火曜とか水曜日のこと。

休みを取る予定だったのが金曜日。前日の木曜日まで結局仕事が入りませんでした。ということで木曜の夜に各宿泊施設を予約し、天気予報を見てバイクで行くことを決めたのでした。

かねてより書いていることではありますが、僕はかつて旅行が大嫌いでした。東京が大好きだったのです。わざわざどこかに出かけて得られる知見にはあまり興味がありませんでした。参考までに→2011-05-02 旅行に関する考えが変わった日。

そんな僕ですが、さすがに最近は彼との数多くの旅行を経験し、結構旅行もいいものじゃん。って思うようになってきたのです。もちろんお金がかかりますが、それなりに安く済ませる方法も学びました。また国内の旅行で使う金額は社会人から考えれば、そこまで重要な金額ではないと思える気がするようにもなりました。

毎月のように、、、少なくとも2ヶ月に1回は?、、大なり小なりの旅行に行っているので、僕もそろそろ独りで楽しく旅行できるだろうし、してみたい。そのように考えたのです。

今回はバイクで行くことにしました。そのためものすごく遠いところは無理ですが、あまり近いのもなんだか物足りないです。東京からの距離がおよそ200kmぐらいが一つの目安でした。ちなみに200kmだと4時間ぐらいあれば、十分に目的地に着く距離です。休憩やら高速道路以外の道を走ると、おおむねそのぐらいの時間配分になります。

行ったことのない場所で、改めて電車で行くのはなんだかちょっとなぁと思うような場所。そこで今回は浜名湖に行ってきました。

一人でできるもん!ということで、自分で宿泊施設を予約し、目的地や寄る場所を決め、食べるものなどを自分で計画したのはおそらく初めてのことかもしれません。もちろん簡単な観光や、仕事で宿泊施設の予約や、行動を自分で決定することはよくあります。しかし純粋に楽しむためだけのこういうことはかなり珍しいことでした。

結果として、バイクで走るのはやっぱり楽しいことを実感しました。バイクで走っていると途中で色々と観光地などが見つかるので、急に寄ったりすることができます。また山を走れば、車がすれ違うことができないような細い道をスイスイとストレス無く走ることもできます。景色もきれいですし。

結果としてやはり楽しい旅行ではありました。

しかしそのような考えとは裏腹に、物足りなさもありました。それはやっぱり彼がいないと、何となくいつもと違うってことです。どこか見知らぬ土地に行くときには常に彼と一緒でした。一人で初めて訪れる場所は、当然期待とともに、言いようのない不安というのもあります。しかしそんなとき(彼である必要は無いかもしれませんが) 複数名いるというのは、とても心強いモノです。吊り橋効果なのかもしれません。

今までそういう、新しい場所の複雑な気持ちになったとき、彼と一緒だったので一人だという不安はありませんでした。しかし今回は、少ないとは言え一人の不安が何回かありました。例えばそれは細い山道を走ることだったり、初めての道を走ることだったりでしょうか。相対的に食事はあまり気にならなかったように思います。

やはり旅行は一人よりも一緒の方が楽しいですね!という話でした。
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  2011/10/02    考え(ゲイ関連)

僕がこの世界で活動を始めてから、かれこれ10年近くが過ぎている。そしてとても幸せなことに、活動を始めた初期の頃から未だに友人関係が続いている人がいる。不思議なことに、続いている友人数名はだいたいが同年代である。

そして僕の考える、人生においてとても楽しいと考えられる期間の一つ、10代後半から20代半ばぐらいまでを一緒に過ごしていて、とても不思議な期間があるのではないかと最近思うようになった。

その人が、とても輝いているように見える時期があるということである。
しかしこの輝いている時期と、その人の生活の状況は必ずしも一致しない。光り輝いているような時期に、失恋することもあり得るだろうし、恋愛する気が起きないような時期と輝く時期が重なる可能性もある。

輝く時期が何回かくるのかは分からない。しかし連続した期間で1回は最低でもくるのではないだろうか。

もともとそのように思うに至ったのは彼を見ていてだった。当然彼とはもうそこそこの期間を一緒に過ごしているので、毎日に大きな変化は生じない。彼は毎日学校に行ってるし、休日は一緒に過ごすし。僕は毎日会社に行ってるし、あーでもないこーでもないって言ってるし、お酒を飲んでフラフラしている。

そんな代わり映えの無い日常の中で、ある期間、、、そしてそれは大変に短い期間、、、彼の雰囲気がガラリと変わった時期があった。本当にこれは不思議で、そのときはまるで他人のように感じられた。つきあい始めの新鮮な気持ちに戻ったような??

この時期は大変残念なことに1ヶ月ぐらいで過ぎ去ってしまった。雰囲気が変わったとき、ちょうど散髪をした時期と重なっていた。だから最初僕は、髪型が変わったから雰囲気も変わったのだろうと考えていた。しかしどうやらそうでもなさそう。
そして振り返ってみると、他の友人にも(ここまではっきり分からなくても)、輝く時期が生じるのではないかと思うようになった。

しかし不思議なのは、この輝く時期は勝手に輝くのであって、生活には一切の変化も生じないということである。せめて毎日が活力にあふれるなどのことがあればいいんですが。
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  2011/10/01    カップル(彼関連)

ゲイの世界はおしゃれな人が多い。
よく言われるのは、男性に好かれる男性にならなければならない。そのように考えるからである。同性の目は非常に厳しい。だからこそ、生半可なことでは認めてもらえず、常に自分を磨かなければならない。

もちろんそれは、かつても何度か書いたように、見た目や筋肉質な体型などの肉体的なことというのも大きいし、仕事などのいわゆるステータスの部分かもしれない。そしてもちろんファッションに関するセンスというのも、とても重要である。

といいつつも、僕は服のことが全くわからない。そういうことには全く持って無関心である。

そして仕事の関係で(というよりもほとんど毎日働いているので)スーツがあればとりあえず日々の生活は問題が無い。
ということで、まったくもって僕はそういうセンスも興味も無いのであった。

彼はとても気をつかう。僕からするとおしゃれ名言も多い。
寒い方がいい。そのように言う。その理由を聞くとたくさんの服を着るから色々アレンジができるということらしい。
おしゃれは我慢。そのようにも言う。理由は、単純に寒いときに厚着をすればいいわけではなく、暑いときに薄着をすればいいだけではないらしい。寒いのに薄着の必要もあるらしい。
汚れてもいい服装で。そういう話になったとき、汚れてもいい服なんてありません。そのように言っていた。僕は目から鱗が落ちる気分であった。
汚れてもいい服=おしゃれな服ってことじゃなくて、安くて比較的どうでもいい服ってことじゃない?そのように意見すると、安くてどうでもいい服なんて当然持ってないということであった。

パンツ?ズボンでしょ?
Pコート?OコートとかQコートは?
レギンス?ももひきでしょ?

と、僕にはよく分からないことばかりであった。

服装について、彼が言うには、おしゃれは自分が好きでやっているということらしい。普通は、大多数は、よく見られたいという前提があると思う。それはこの記事の最初にも書いたと思うし。しかしそうじゃないらしい。

でもだからこそ大変。コンビニに行くのに、別にジャージでもいいと思うんだけど。スーパーにいくのに、わざわざ着替える必要は無いと思うんだけど。
しかし「自分のために」という理由があるから、適当な服装で外出するのは納得がいかないらしい。

僕にはよく分からない考え方です。
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